「何のために生きているのだろう」
「なぜ苦しいことがあっても、生きていかなければならないのだろう」
人生の中で、このような疑問を感じたことはないでしょうか。
仕事、お金、健康、人間関係、家族など、生きていくうえで大切なものはたくさんあります。しかし仏教では、それらよりもさらに根本的な問題として、**「人生の目的」**が教えられています。
人生の目的が分かれば、「では、その目的を果たすためにどう生きればいいのか」という生き方も見えてきます。
この記事では、人生の目的とは何か、なぜ生きるのかという問いに仏教はどう答えているのかを、親鸞聖人の教えを通して解説します。
「なぜ生きる」をテーマにした名著
「どう生きるか」より「なぜ生きるか」が大切
私たちは普段、「どう生きるか」を一生懸命考えています。
- どうすれば収入を増やせるのか
- どうすれば健康でいられるのか
- どうすれば良い人間関係を築けるのか
- どうすれば幸せな家庭をつくれるのか
- どうすれば充実した人生を送れるのか
これらはすべて大切な問題です。
しかし、「どう生きるか」は英語でいえば **How(方法・手段)**の問題です。
それに対して、
「なぜ生きるのか」
という問いは **Why(目的)**の問題です。
そして、目的は一切の手段に優先します。
たとえば旅行するときも、北海道へ行くのか沖縄へ行くのかによって、交通手段も持ち物も予定も変わります。
目的地が決まって初めて、そこへ行くための方法を決められるからです。
人生も同じです。
どこを目指して生きるのかが分からなければ、本当の意味で「どう生きるか」を決めることもできません。
人生の目的を考える

人生の目的はなくても生きていける?
「人生に目的なんてなくてもいい」
という考え方もあります。
確かに、人生の目的を考えなくても毎日の生活を送ることはできます。
仕事をして、お金を稼ぎ、食事をして、趣味を楽しみ、眠る。そうやって毎日を過ごしていくことはできるでしょう。
しかし、ここで一つの問題が残ります。
「生きて、それで何をするのか」
という問題です。
一生懸命働くことは大切です。
健康のために運動することも大切です。
家族を大切にすることも、人に親切にすることも大切でしょう。
では、
「何のために一生懸命生きるのか」
と問われたら、どうでしょうか。
「どう生きるか」だけでは、この問いに答えることはできません。
だからこそ仏教では、「なぜ生きるのか」という人生の根本問題が説かれているのです。
仏教で教えられる人生で最も大切なこととは

仏教では人生を「苦しみの海」にたとえる
親鸞聖人は,
生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ
のせてかならずわたしける
と教えられています。
「生死の苦海」とは、私たちの人生を苦しみの海にたとえられた言葉です。
人生では、一つの悩みが解決しても、また別の問題が起きます。
お金の問題が解決したと思ったら、人間関係で悩む。
人間関係が落ち着いたと思ったら、今度は健康問題が起きる。
仕事、家族、老い、病気、そして死。
海で次々と波が押し寄せてくるように、人生にもさまざまな苦しみがやってきます。
そのため私たちの人生を、果てしなく広がる**「生死の苦海」**にたとえられているのです。
「弥陀弘誓の船」とは何か
では、その苦しみの海を私たちはどのように渡っていけばよいのでしょうか。
そこで親鸞聖人が教えられているのが、
「弥陀弘誓の船」
です。
「弥陀」とは阿弥陀仏、「弘誓」とは広大な誓いを意味します。
つまり、弥陀弘誓の船とは、阿弥陀仏の本願を大きな船にたとえられた言葉です。
阿弥陀仏の本願とは、すべての人を必ず救うという誓いです。
私たちは苦しみの海の中で、幸せを求めて生きています。
しかし、一つの幸せを手に入れても、その幸せはいつまでも続くとは限りません。
健康も、お金も、地位も、人間関係も、いつか変化していきます。
そんな生死の苦海に沈む私たちを乗せて、必ず浄土へ渡す大船として説かれているのが、阿弥陀仏の本願なのです。
阿弥陀仏の本願を明らかにされた「歎異抄」とは

親鸞聖人が教えられた「人生の目的」
親鸞聖人は、生涯をかけて阿弥陀仏の本願を明らかにされました。
苦しみの海に沈んでいる私たちが、弥陀弘誓の船に乗せていただき、浄土往生の身に定まることこそ、人間に生まれて果たすべき大切な目的であると教えられています。
ここに仏教における「なぜ生きるのか」という問いへの答えがあります。
人生には、楽しいことばかりがあるわけではありません。
思い通りにならないこともあれば、努力しても報われないこともあります。
大切な人との別れもあり、最後には老いと死の問題にも向き合わなければなりません。
だからこそ、
「何のために、この人生を生きるのか」
を明らかにすることが大切なのです。
人生の目的が分かれば「どう生きるか」も変わる
人生の目的と、毎日の生活は別々のものではありません。
目的地が決まれば、そこへ向かう道の歩き方が決まるように、人生の目的が明らかになれば、日々の生き方にも意味が生まれます。
仕事をすること。
家族を大切にすること。
健康を守ること。
人に親切にすること。
仏法を聞くこと。
一日一日を大切に生きること。
これらの「どう生きるか」は、人生の目的へ向かう大切な歩みとなります。
大切なのは、手段だけに追われて目的を見失わないことです。
「どう生きるか」の前に、「なぜ生きるのか」を知る。
そして、その目的に向かって毎日を生きていく。
仏教、とりわけ親鸞聖人の教えは、私たちにその人生の根本問題を問いかけているのです。
まとめ|「なぜ生きるのか」を明らかにすることが人生で大切
私たちは「どうすれば幸せになれるか」を考えながら毎日を生きています。
しかし、どう生きるかという方法を考える前に、「何のために生きるのか」という人生の目的を明らかにすることが大切です。
親鸞聖人は、苦しみの人生を「生死の苦海」にたとえ、その海を渡らせる大船を「弥陀弘誓の船」と教えられました。
阿弥陀仏の本願の船に乗せていただき、浄土往生の身に定まる。
その人生の目的があるからこそ、そこへ向かって「今日をどう生きるのか」という一日一日の生き方も大切になってくるのです。
人生で一番大切なのは、ただ一生懸命生きることだけではありません。
「何のために一生懸命生きるのか」を明らかにすることなのです。
感想
「なぜ生きるか」がはっきりすれば、それに向かって「どう生きるか」が決まるといいます。それは目的と手段の関係になります。
仏教では人生の目的を、阿弥陀仏の本願によって浄土往生間違いない身になることだと教えられます。早くその身になれるように聴聞を続けていきたいです。

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