「なぜか自分だけ雑に扱われている気がする」
「最初は優しかったのに、最近は扱いがひどくなった」
「人によって態度を変える人に疲れてしまった」
人間関係の中で、このように感じることはありませんか。
雑に扱われると、「自分に価値がないからだろうか」と落ち込んでしまうことがあります。
しかし、必ずしもあなた自身に原因があるとは限りません。
むしろ、相手の考え方や心の余裕のなさによって、人への接し方が雑になっている場合もあります。
仏教では、私たちの行動の根底には「心」があると教えられます。
この記事では、雑に扱ってくる人の特徴を3つに分け、仏教の「布施」や「慢」という教えから、人間関係について考えてみます。
人や運が離れていく人の特徴

自分のことしか考えない人
雑に扱ってくる人の特徴の一つが、自分のことで精一杯になっている人です。
自分の仕事、自分の悩み、自分の利益、自分の予定。
頭の中が自分のことでいっぱいになると、相手の気持ちを考える余裕がなくなります。
「こんな言い方をしたら傷つくだろうか」
「相手はいま困っていないだろうか」
「何かできることはないだろうか」
このように相手の立場から考えることができなくなり、結果として人を雑に扱ってしまうのです。
仏教で教えられる「布施」とは
仏教では、人に与えることを布施(ふせ)といいます。
布施というと、お金や物を与えることをイメージするかもしれません。
しかし、それだけが布施ではありません。
相手の立場に立って考えること、相手が喜ぶことをすること、苦しんでいる人を助けることも布施です。
そして仏教では、お金や財産を持っていなくてもできる布施として、無財の七施(むざいのしちせ)が教えられています。
・眼施(げんせ):温かく和やかな眼差しで人と接する
・和顔悦色施(わげんえっしょくせ):笑顔で人と接する
・言辞施(ごんじせ):優しい言葉をかける
・心施(しんせ):相手を思いやり、心を配る
・身施(しんせ):自分の身体を使って人を助ける
・床座施(しょうざせ):席や場所を譲る
・房舎施(ぼうしゃせ):宿や居場所を提供して人を助ける
どれも特別な能力や大金は必要ありません。
笑顔で挨拶する。
「ありがとう」と伝える。
困っている人に声をかける。
席を譲る。
そんな小さな行動も布施になります。
こうした行動を心がけていれば、周囲から「人を雑に扱う人」と思われることは少なくなるでしょう。
私たち自身も人を雑に扱ってしまう
ただし、注意したいことがあります。
人を雑に扱ってしまうのは、特別に性格の悪い人だけではありません。
私たち自身も仕事に追われているとき、悩みを抱えているとき、時間がないときは、自分のことで精一杯になります。
そして知らないうちに、家族や友人、職場の人を雑に扱ってしまうことがあります。
だからこそ、自分を雑に扱ってくる人をただ嫌うだけではなく、
「自分も同じことをしていないだろうか」
と振り返る反面教師にすることが大切です。
幸せになるための行動について

「使えるか、使えないか」で人を見る人
雑に扱ってくる人の二つ目の特徴は、人を「使えるか、使えないか」で判断する人です。
言い換えれば、人を一人の人間としてではなく、道具のように見てしまう人です。
職場などでは、
「あの人は仕事ができる」
「あいつは使えない」
といった言葉を耳にすることがあります。
もちろん、仕事では能力を評価する必要があります。
しかし、仕事上の評価と、その人自身の価値は別のものです。
ここを混同すると、
「役に立つ人だから大切にする」
「役に立たない人だから雑に扱う」
という人間関係になってしまいます。
利用価値だけでつながった関係は長続きしない
「使えるかどうか」で人を見る人には特徴があります。
自分にとって役に立っている間は、とても親切にしてくれることがあります。
ところが、役に立たなくなった途端、手のひらを返したように態度が変わります。
反対に、今まで雑に扱っていた人でも、出世したり実績を上げたりして利用価値が生れると、急に丁寧に接するようになることもあります。
そこにあるのは、
「あなたを大切にしたい」
ではなく、
「あなたを利用したい」
という気持ちなのかもしれません。
言いなりにならず、距離を取ることも大切
このような人に対して、何でも言うことを聞く必要はありません。
相手が自分の目的を達成するために、こちらを材料として利用しているなら、適切な距離を取ることも必要です。
仏教で布施が勧められているからといって、何でも相手の要求に応じることが布施ではありません。
人に親切にすることと、相手の言いなりになることは違います。
無理な要求には「できません」と伝える。
嫌なことには「嫌です」と言う。
必要なら距離を置く。
自分を大切にするための境界線を持つことも、人間関係では重要です。
人を見下す人
雑に扱ってくる人の三つ目の特徴が、人を見下す人です。
仏教では、人間には慢(まん)という煩悩があると教えられます。
慢とは、簡単にいえば自惚れの心です。
自分のほうが優れている。
自分のほうが偉い。
自分のほうが正しい。
そんな思いが強くなると、相手を見下すようになります。
上司と部下。
先輩と後輩。
先生と生徒。
経験者と初心者。
立場や能力に差があると、自分より下だと思った相手に横柄な態度を取ってしまうことがあります。
それが「雑に扱う」という行動になって表れるのです。
「実るほど頭の垂れる稲穂かな」
有名な言葉に、
「実るほど頭の垂れる稲穂かな」
があります。
稲は成長して実がつまってくると、その重さによって穂先が下がっていきます。
人間も同じです。
本当に経験を積み、実力を身につけた人ほど、自分が知らないことの多さにも気づきます。
そのため、むやみに人を見下さなくなります。
反対に、少し知識を得ただけで、
「自分は何でも知っている」
「自分は他人より優れている」
と思ってしまうことがあります。
仏教で教えられる「慢」は、まさに私たちが陥りやすい心なのです。
ダニング・クルーガー効果から考える「自惚れ」
心理学では、能力の低い人が自分の能力を実際以上に高く評価してしまう傾向について、ダニング・クルーガー効果という研究が知られています。
知識が少ない段階では、自分に何が足りていないのかさえ分からず、自信過剰になってしまうことがあります。
一方、学びを深めていくと、
「自分はまだまだ知らない」
「こんなに難しい世界だったのか」
と気づくようになります。
成長するほど自分の未熟さが見えるようになるのです。
その意味では、いつも人を見下して威張っていることが、そのまま本当の実力を示しているとは限りません。
人を見下す人についてはこちらも

雑に扱ってくる人に傷ついたときの考え方
人から雑に扱われれば、腹が立つのは当然です。
「どうして自分だけこんな扱いを受けなければならないのか」
と思うこともあるでしょう。
しかし、相手の態度によって自分自身の価値まで決める必要はありません。
人を見下す人がいたなら、
「この人はいま慢の心に動かされているのかもしれない」
自分のことしか考えない人がいたなら、
「この人はいま自分のことで精一杯なのかもしれない」
利用しようとしてくる人がいたなら、
「この人とは少し距離を取ろう」
と考える。
相手を変えることは難しくても、相手との付き合い方を変えることはできます。
大切なのは「自分は人を雑に扱っていないか」
そして、この記事で最も大切にしたいのは、雑に扱ってくる人を批判することだけではありません。
仏教の教えは、他人を裁くためではなく、自分自身の姿を振り返るために聞くものでもあります。
「自分のことしか考えていなかったことはないか」
「役に立つ人だけ親切にしていないか」
「自分より立場の弱い人を見下していないか」
こうして自分自身を振り返ってみることが大切です。
私たちにも「慢」の心がありますし、自分の利益を優先したくなる心もあります。
だからこそ、日常生活の中で「無財の七施」を心がけてみてはどうでしょうか。
笑顔で接する。
優しい言葉をかける。
「ありがとう」と伝える。
困っている人を少し手伝う。
どれも小さなことです。
しかし、そんな小さな布施の積み重ねによって、人との関係は少しずつ変わっていきます。
まとめ|雑に扱う人を反面教師にする
雑に扱ってくる人には、
⒈ 自分のことしか考えていない
⒉ 「使えるか、使えないか」で人を見る
⒊ 人を見下している
という特徴が見られることがあります。
そんな相手に無理に認めてもらおうとする必要はありません。
必要なら距離を取り、自分を守ることも大切です。
そして、もう一歩踏み込むなら、その人を反面教師にしてみましょう。
「あんな扱いをされて嫌だった。だから自分は人に同じことをしないようにしよう」
そう考えれば、嫌な経験も自分の生き方を見直すきっかけになります。
人から大切にされたいと思うなら、まず自分から人を大切にする。
仏教の「布施」は、そのために今日から実践できる教えなのです。
感想
人から雑に扱われるのは嫌ですが自分が人を雑に扱っていないか。そのことについてとても考えさせられました。もし雑に扱われたのならその人を反面教師にすることも大切だと思いました。
普段から仏教の教えである「無財の七施」を実践できるようになれば、人を見下す態度にはならないと学びました。簡単なことではないですが、少しでもできるように意識していきたいです。
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