ここ10年ほどで、さまざまな「ハラスメント」が話題になるようになりました。
ハラスメントとは、相手に不快感や苦痛を与えたり、尊厳を傷つけたりする言動を指す言葉です。
職場や家庭、お店など、人と人が関わるところではさまざまな問題が起こります。
代表的なものを見てみましょう。
パワハラとは
パワーハラスメント、いわゆる「パワハラ」は、職場での立場や人間関係などの優位性を背景に、業務上必要な範囲を超えて相手に苦痛を与えるような言動をすることです。
上司が部下に暴言を吐く、必要以上に厳しく叱責する、到底達成できないような仕事を押しつける、といったケースが考えられます。
セクハラとは
セクシャルハラスメント、いわゆる「セクハラ」は、相手の意に反する性的な言動によって不快感や不利益を与えたり、職場環境を悪化させたりすることです。
上司から部下だけでなく、同僚同士などでも起こります。
モラハラとは
モラルハラスメント、いわゆる「モラハラ」は、言葉や態度によって相手を精神的に追い詰める行為を指して使われます。
たとえば夫婦間で暴力を振るわなくても、長期間無視をする、人格を否定する、見下した態度を取るといった行為によって相手を傷つけることがあります。
カスハラとは
カスタマーハラスメント、いわゆる「カスハラ」は、客という立場を利用して従業員などに不当な要求や暴言をぶつける行為です。
店員を怒鳴りつける、長時間拘束する、過剰な謝罪や土下座を要求するといった行為が問題になります。
「ハラハラ」という言葉もある
最近では「ハラスメント・ハラスメント」、略して「ハラハラ」という俗称も聞かれるようになりました。
これは、業務上必要な指導や注意まで何でも「ハラスメントだ」と決めつけ、過度に相手を非難するような状況を指して使われる言葉です。
もちろん、本当にハラスメントを受けている人が声を上げることは大切です。
一方で、何か注意されたらすべてハラスメントなのかというと、そうとも限りません。
そこで難しくなってくるのが、「適切な指導」と「ハラスメント」の境界線です。
仏教では人間を「煩悩具足の凡夫」という
人間関係のトラブルについて考えるとき、思い出したい仏教の言葉があります。
それが、
「煩悩具足の凡夫」
という言葉です。
煩悩とは、欲や怒り、ねたみ、そねみなど、私たちを悩ませる心です。
「具足」とは、それらを身に備えているということ。
つまり私たちは、煩悩を抱えて生きている凡夫なのです。
ハラスメントの問題でも、自分は正しく相手が間違っていると考えてしまいがちです。
しかし相手だけに問題があるとは限りません。
自分自身もまた、怒りや思い込みに動かされている可能性があります。
煩悩はなくならない

「我必ず聖に非ず、彼必ず愚に非ず」
人間関係がぶつかったときに大切にしたいのが、聖徳太子の『十七条憲法』にある次の言葉です。
我必ず聖に非ず。
彼必ず愚に非ず。
共にこれ凡夫のみ。
私が必ず正しいとは限らない。
相手が必ず愚かだとも限らない。
私も相手も、間違いを犯す人間なのだということです。
人と人が争っているときには、
「自分は正しい。相手が悪い」
という気持ちが強くなります。
もちろん、本当にハラスメントにあたる行為まで我慢する必要はありません。
しかし人間関係のすれ違いが起きたとき、
「自分の言い分だけが絶対に正しいのだろうか」
と一度自分を振り返ることも大切でしょう。
相手を責めるだけではなく、自分の言動も見つめ直す。
そこに聖徳太子の言葉から学べる人間関係の知恵があります。
フィードバックとパワハラの違い
ビジネスでは「フィードバック」という言葉がよく使われます。
たとえば社員が、
「先月の営業成績はこうでした」
「今回のプレゼン資料はこのように作りました」
「これからこのような計画で進めます」
と上司に報告する。
それに対して上司が改善点を指摘したり、アドバイスしたりするのがフィードバックです。
部下を育てるためには、ときには耳の痛いことを伝えなければならないこともあります。
しかし、フィードバックのつもりだった言葉が、相手を傷つけることもあります。
では、どうすればよいのでしょうか。
重要なのは、**「何を言うか」だけでなく「どのように伝えるか」**です。
人格を否定する必要はありません。
「お前は本当にダメだ」
と言うのと、
「この部分には問題があるから、次はこう改善してほしい」
と言うのでは、まったく違います。
問題にするべきなのは「人」ではなく「行動」です。
上司と部下には信頼関係が必要
同じ言葉でも、誰から言われるかによって受け止め方は変わります。
日頃から自分のことを考えてくれている上司から改善点を指摘されれば、
「自分のために言ってくれているのだろう」
と思えることがあります。
反対に、日頃から怒鳴ったり見下したりする上司から同じことを言われれば、
「また攻撃された」
と感じるかもしれません。
それほど人間関係において信頼は重要です。
ただし、信頼関係があれば何を言ってもいいわけではありません。
どれだけ相手のためを思っていたとしても、人格否定や侮辱、必要以上の叱責を正当化することはできません。
怒りではなく慈悲の心で伝える
仏教には「慈悲」という言葉があります。
相手に幸せになってもらいたい、相手の苦しみを取り除きたいという心です。
部下を指導するときにも、
「どうしてこんなこともできないんだ」
という怒りから言葉をぶつけるのか、
「どうすればこの人が成長できるだろう」
と考えて伝えるのかでは大きな違いがあります。
怒りに任せて叱れば、必要以上に強い言葉が出てしまいます。
しかし相手の成長を願っているなら、
「どう伝えれば相手に届くのか」
と考えるようになります。
大切なのは、怒りをぶつけることではなく、相手が改善できるように伝えることです。
「子は夫婦のかすがい」に学ぶ人間関係
ことわざに、
「子は夫婦のかすがい」
という言葉があります。
「かすがい」とは、二つの木材をつなぎ合わせるための金具です。
もともとは他人だった夫と妻が結婚して家庭を築き、その二人を強く結びつける存在として子供を「かすがい」にたとえた言葉です。
ここから人間関係について大切なことが見えてきます。
それは、共通して大切にするものを持つことです。
夫婦であれば家族を大切にする。
会社であれば、お客様に喜んでもらう、良い商品を作る、会社を成長させるといった共通の目的を持つ。
上司と部下が「どちらが正しいか」と向き合って争っているだけでは、対立が深くなることがあります。
しかし二人が同じ目的を見るようになれば、
「この仕事を良くするためにはどうすればいいか」
という話ができるようになります。
上司や夫婦の関係を見つめること

愛するとは、二人で同じ方向を見ること
『星の王子さま』で知られるサン=テグジュペリには、愛について語った有名な言葉があります。
「愛するとは、互いに見つめ合うことではなく、二人で同じ方向を見つめることである」
人間関係でも同じことがいえるのではないでしょうか。
「自分が正しい」
「いや、あなたが間違っている」
とお互いを見つめ合って争っているだけでは、なかなか問題は解決しません。
職場であれば、上司も部下も仕事を良くするという同じ方向を見る。
夫婦であれば、より良い家庭を築くという同じ方向を見る。
そのうえで相手の立場を尊重し、自分の間違いにも目を向ける。
まとめ|自分も相手も「凡夫」である
ハラスメントへの意識が高まったことによって、以前なら我慢するしかなかった言動が問題として認識されるようになりました。
これは大切な変化です。
一方で、人間関係の問題すべてを、
「自分が正しく、相手が悪い」
という構図だけで考えてしまえば、新しい対立が生まれることもあります。
そんなときに思い出したいのが、
我必ず聖に非ず。
彼必ず愚に非ず。
共にこれ凡夫のみ。
という言葉です。
私も間違える。
相手も間違える。
お互いに欲や怒りを抱えた人間です。
だからこそ、自分の正しさを押しつけるのではなく、相手の立場にも目を向ける。
そして職場なら良い仕事をすること、家庭ならより良い家庭を築くことなど、お互いが大切にできる同じ方向を見ることです。
ハラスメントをなくすために必要なのは、ルールだけではありません。
相手を一人の人間として尊重すること。
そして自分自身もまた「煩悩具足の凡夫」であると知ること。
その姿勢が、信頼できる人間関係を築く第一歩になるのではないでしょうか。
感想
相手に対して厳しいことをいうときには信頼関係が大事だとわかりました。信頼関係がないと厳しい言葉は不快な気持ちにさせてしまうことをよく覚えておきたいです。また、自分は凡夫なのだから相手とぶつかったとき自分は必ず正しいと決めつけないことも大切だと思いました。
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