「あの人さえいなければ、もっと楽なのに」
職場や家庭の人間関係で、そんなことを思った経験はないでしょうか。
しかし、自分にとって邪魔に思える人がいることは、本当に悪いことなのでしょうか。
自然界に目を向けてみると、さまざまな生物が互いに影響を与えながら共存しています。
仏教にも「自他不二(じたふに)」という言葉があります。
今回は、生物社会の多様性をヒントに、「嫌いな人や自分と合わない人にも意味がある」ということを考えてみたいと思います。
健全な生物社会とは「多様性」があること
植物生態学者として知られる宮脇昭氏は、その土地本来の植生を重視し、多様な樹種によって森をつくることに取り組みました。
自然の森を見てみると、一種類の植物だけが生えているわけではありません。
高木があり、その下には少し低い亜高木があり、さらに低木や草があります。土の中にもさまざまな生物が存在しています。
それぞれが同じ条件で生きているわけではありません。
高い木が太陽の光を受ければ、その下にある植物には届く光が少なくなります。植物同士は光や水、栄養分などをめぐって競争しています。
しかし、競争しながらも同じ森の中で共存しています。
つまり自然界では、「競争」と「共生」が同時に存在しているのです。
邪魔なものをなくせば良くなるとは限らない
人間は、自分にとって都合の悪いものを見ると、
「あれさえなくなればいい」
と考えがちです。
しかし、自然界では一つの存在だけを見て「これは邪魔だから必要ない」と簡単には決められません。
さまざまな生物が複雑に関係し合うことで、生態系が成り立っているからです。
これは人間社会にも通じるところがあります。
会社には、経営者、管理職、現場で働く人、新入社員など、さまざまな立場の人がいます。
自分の立場からだけ見れば、
「なぜあの人はこんな仕事のやり方をするんだ」
「自分ばかり苦労して、あの人は楽をしている」
と思うこともあるでしょう。
しかし相手には相手の役割や事情があります。
自分とは違う人たちが、それぞれの役割を果たすことによって会社全体が成り立っている面もあります。
夫婦や親子など、家庭の人間関係でも同じです。
与える人は幸せな人間関係をきずける

仏教の「自他不二」とは
仏教には自他不二という言葉があります。
「自」とは自分、「他」とは他者です。
自分と他者は別々の存在でありながら、完全に切り離して考えることはできない、という見方です。
私たちは他者との関係の中で生きています。
家族、友人、職場の人、お客さんなど、多くの人との関わりがなければ、今の自分の生活も成り立ちません。
だから、
「自分さえよければいい」
「他人がどうなっても自分には関係ない」
という生き方を続ければ、やがて自分自身にも影響が返ってきます。
自分と他者を完全に切り離すことはできないのです。
人によって態度が変わる人

嫌いな人も「他」に含まれる
ここで大切なのは、自他不二の「他」は、自分の好きな人だけではないということです。
自分が苦手な人や、嫌いな人も他者です。
実生活では、
「あの上司が嫌いだ」
「あの同僚さえいなければ」
「あの人とは絶対に合わない」
と思うことがあります。
もちろん、危険な相手やハラスメントから距離を取ることは必要です。
しかし、単に自分と合わないというだけなら、
「この人がいることには、どんな意味があるのだろう」
と考えてみることもできます。
苦手な人がいるから、自分の短所に気づくことがあります。
厳しい上司がいたから仕事を覚えた、ライバルがいたから努力した、自分と違う考えを持つ人がいたから視野が広がった、ということもあるでしょう。
嫌な人が、結果的に自分を成長させる「縁」になることもあるのです。
人生は縁によって大きく変わる

発熱や鼻水も「邪魔だからなくせばいい」とは限らない
人間の身体にも似たところがあります。
風邪などの感染症では、発熱や鼻水といった症状が現れることがあります。
私たちにとっては不快な症状ですが、発熱は免疫反応の一部であり、鼻水も異物などを排出する防御機能に関わっています。
もちろん症状が強い場合には適切な治療が必要ですが、ここで注目したいのは、「不快だから無意味」とは限らないということです。
人生でも同じではないでしょうか。
自分にとって不快な存在が、長い目で見れば何らかの役割を果たしている場合があります。
盆栽はなぜ曲がっているのか
盆栽を見ると、幹や枝が美しく曲がっているものがあります。
盆栽では、針金などを使って枝を誘導し、美しい樹形を作っていく技法があります。
木にとってみれば、好きな方向へ自由に伸びているわけではありません。
人間の人生も似ています。
何でも自分の思い通りになれば、立派な人間になれるとは限りません。
失敗した。
思い通りにならなかった。
苦手な人と一緒に仕事をしなければならなかった。
自分の考えを否定された。
そんな「思い通りにならない経験」によって、自分の考え方が修正され、人間として成長することがあります。
人生を形づくるのは、順境だけではないのです。
「最高」と「最適」は違う
ここで考えてみたいのが、「最高」と「最適」は違うということです。
自分にとって最高の環境とは、
「嫌いな人が一人もいない」
「誰も自分に反対しない」
「すべて自分の思い通りになる」
という環境かもしれません。
しかし、それが人生全体にとって最適な環境とは限りません。
森にさまざまな植物が存在するように、人間社会にもいろいろな性格や考え方を持った人がいます。
自分と違う人がいる。
反対する人がいる。
時にはぶつかる人もいる。
一見すると不都合ですが、その多様性によって集団のバランスが保たれることもあります。
自分にとっての「最高」を求め続けるのではなく、
「今の環境には、どんな意味があるのだろう」
と考える。
すると人間関係の見え方も少し変わってきます。
まとめ|邪魔な人にも意味があるかもしれない
私たちは人間関係で苦しむと、
「あの人さえいなければ幸せなのに」
と思います。
しかし、生物社会では多様な存在が競争しながら共存しています。
仏教の自他不二という考え方から見ても、自分は他者との関係を離れて存在しているわけではありません。
そして、その「他者」には、自分の好きな人だけでなく、苦手な人も含まれています。
もちろん、どんな人間関係でも我慢しなければならないということではありません。自分を傷つける相手から離れることが必要な場合もあります。
それでも、ただ気に入らないから「あの人はいないほうがいい」と考える前に、
「この人がいることで、自分は何を学んでいるのだろう」
と考えてみてはどうでしょうか。
人生にとって最高の環境と、成長するために最適な環境は同じとは限りません。
自分の思い通りにならない人、自分とは違う人、時には苦手だと思う人。
そんな人たちとの縁もまた、今の自分をつくっているのかもしれません。
感想
自分にとって邪魔な人や嫌いな人と過ごすのはとても苦しいことです。しかし邪魔な人や嫌いな人のおかげでうまくいくこともあるという。なかなかそう思うことは難しいですが、そういう人たちがいる意味を考えてみるのはとても大切だと思いました。
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