信心獲得とは何か?煩悩具足の凡夫を救う阿弥陀仏の本願

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浄土真宗では、

「信心獲得(しんじんぎゃくとく)」

が往生の正因であると教えられています。

では、信心獲得とはどのようなことなのでしょうか。

親鸞聖人は、人間の姿を

「煩悩具足の凡夫」

と明らかにされました。

この人間観を知らなければ、阿弥陀仏の本願も信心の意味も理解することはできません。

目次

煩悩具足の凡夫とは

煩悩具足の凡夫とは、

煩悩100%でできているのが人間

ということです。

煩悩とは、

・欲

・怒り

・妬み

・嫉み

・憎しみ

などの心です。

親鸞聖人は特別な悪人だけを指して言われたのではありません。

私たちすべてが煩悩の塊であり、煩悩具足の凡夫なのです。

どれほど善人に見える人でも、心の中には欲や怒りや妬みがあります。

仏教はまず、このありのままの自己の姿を教えています。

生死輪転とは何か

煩悩具足の凡夫は、

生死輪転(しょうじりんてん)

の身であると説かれています。

生死輪転とは、

苦しみや悩みが果てしなく続くことです。

流転輪廻ともいわれます。

なぜ苦しみが終わらないのでしょうか。

それは、

惑業苦(わくごうく)

という迷いの循環があるからです。

惑業苦の流れ

①煩悩(惑)

②悪業を造る(業)

③苦しみを受ける(苦)

④苦しみからさらに怒りや妬みを起す

⑤また悪業を造る

⑥また苦しみを受ける

この繰り返しが惑業苦です。

まるで車輪が回り続けるように、苦しみの連鎖はとまりません。

自分の力で煩悩を断ち切れないところに、人間の根本問題があります。

阿弥陀仏の本願とは

このような煩悩具足の凡夫を救うために建てられたのが、

阿弥陀仏の本願

です。

本願とは阿弥陀仏のお約束です。

それは、

「煩悩具足の凡夫を必ず救う」

という誓願です。

善人になったら救うという条件ではありません。

煩悩に苦しみ、自力ではどうにもならない私たちを、そのまま救うとうのが本願の内容です。

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信心獲得とは何か

浄土真宗では、

・たのむ

・帰する

・信ずる

これらは同じ意味で使われます。

阿弥陀仏の本願にまかせきることを、

信心獲得

というのです。

信心とは、自分が頑張って起こす心ではありません。

阿弥陀仏に救いとられたことを知らされた心です。

親鸞聖人は、

平生の一念

で救いは定まると教えられています。

臨終まで待つ必要はありません。

本願を疑いなく受け入れた一念に往生は決定するのです。

親鸞聖人は生きている今救われる教えを生涯説かれた

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往生の正因とは

浄土真宗では、

信心獲得こそ往生の正因

であると教えられています。

正因とは、結果を生み出す直接の原因です。

極楽往生の原因は、

・善行を積むこと

・修行すること

・念仏の回数

ではありません。

信心をいただくことが往生の正因なのです。

自力と他力の違い

信心を妨げるものとして、

自力

があります。

自力とは単に自分で努力することではありません。

浄土真宗でいう自力とは、

阿弥陀仏の本願を疑う心

です。

例えば、

・善い行いをして助かろう

・念仏を称えて助かろう

・修行して救われよう

という心です。

一見すると立派に見えますが、その根底には

「本願だけでは不安だ」

という疑いがあります。

この疑いの心を

疑情(ぎじょう)

といいます。

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他力をたのみたてまつる身になる

阿弥陀仏の本願を聞き抜き、

疑いの心が破られたとき、

自力の心はなくなります。

そして、

「必ず救うという阿弥陀仏の本願におまかせするほかない」

と知らされます。

これを

他力にたのみたてまする身になる

といいます。

この一念が信心であり、信心獲得なのです。

まとめ

浄土真宗では、人間を煩悩具足の凡夫と教えます。

私たちは惑業苦によって、生死輪転の苦しみから抜け出せません。

その私たちを救うために建てられたのが阿弥陀仏の本願です。

そして、本願を疑う自力の心が破られ、他力にまかせきったときに信心獲得となります。

往生の正因は善行でも念仏の数でもありません。

阿弥陀仏の本願を疑いなく受け入れた信心一つが、往生の正因である

と親鸞聖人は教えられているのです。

感想

浄土に往くためには信心獲得しなければならないと教えられています。悪人だとか善人だからというのは関係ないといいます。すべての人は煩悩具足の凡夫であるから、煩悩によって悪を造り続けている。だからすべての人は悪人だといわれます。

仏教を学んでいないときは、自分が悪人だなんて思いませんでした。犯罪もしていないし善人だと思っていた。だから弥陀に救われなくても大丈夫だという気持ちがありました。しかし、聴聞を重ねるにつれ人間とは煩悩の塊だということが分かってきました。また、煩悩から悪を造ってしまうことも分かってきます。そうなるとすべての人が悪人であるということもわかります。これは仏教を学び続けないとわからないことです。だから阿弥陀仏の本願が必要になるという結論になりました。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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