「欲が止まらない」
「すぐイライラしてしまう」
「人と比べて落ち込む」
こうした悩みは、多くの人が抱えています。
仏教ではこれを煩悩(ぼんのう)といい、誰もが避けられない心の働きだと教えられています。
では、この煩悩はなくすことができるのでしょうか?
人生が思い通りにならない苦しみとは?

煩悩とは何か?3つの代表的な心
煩悩の代表が、次の3つです。
欲(よく)|満足できない心
欲とは、「なければ欲しい、あればもっと欲しい」
という終わりのない心です。
どれだけ手に入れても満足できないため、常に不平不満が生れます。
愛と苦しみの関係

怒り(いかり)|欲が邪魔されたときの心
怒りは、欲が妨げられたときに起こります。
・思い通りにいかない
・人に邪魔される
こうしたときに「なぜだ」と腹が立ち、イライラが止まらなくなります。
怒り・恨みの正体

ねたみ・そねみ・恨み|比較から生まれる苦しみ
怒りをぶつけられない相手には、恨みや憎しみとして心に残ります。
また、人が成功すると
・面白くない
・悔しい
と感じるのが、ねたみ・そねみです。
人間関係の苦しみ

煩悩は「治らない難病」といわれる理由
仏教では、これらの煩悩は完全に消すことができないと説かれています。
そして、親鸞聖人はこう言われました。
凡夫というは無明・煩悩われらが身にみちみちて、欲もおおく瞋り腹だち、そねみねたむ心多く間なくして、臨終の一念に至るまで止まらず消えず絶えず (親鸞聖人)
これは、
人間は煩悩100%でできている存在(煩悩具足)
という意味です。
つまり私たちは、
・欲も消えない
・怒りもなくならない
・ねたみも止まらない
そんな「治らない難病」を抱えているのです。
親鸞聖人が教える本当の幸せとは?

煩悩がある限り幸せになれないのか?
ここで疑問が生まれます。
「煩悩が消えないなら、幸せになれないのでは?」
仏教の答えは、そうではないです。
本当に治すべき「もう一つの難病」とは
仏教では、、もう一つの深い問題があると教えます。
それが、
死後がわからないという不安(無明業障の病)
・死んだらどうなるのか分からない
・この先どうなるのか不安
この「未来が見えない不安」は、誰もが抱えています。
そして、
未来が暗いと、今も暗くなる
という特徴があります。
死後の不安がなくなると人生は変わる
この不安はどうすれば解決できるのか。
仏教では、本願他力によって解決できると説かれます。
そして、
不安が完全になくなった状態を「信楽(しんぎょう)」といいます。
煩悩があっても幸せになれる理由
信楽の世界では、
煩悩があっても、それが障りにならなくなる
と説かれます。
これを
煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)
といいます。
煩悩が喜びに変わるたとえ話
仏教では、煩悩と喜びの関係をこう表しています。
氷と水のごとくにて 氷多きに水多し 障り多きに徳多し
これは、
・氷が多いほど溶けた水も多い
・煩悩が深いほど喜びも大きい
という意味です。
信楽になるにはどうすればいいのか
では、どうすればこの境地に至るのでしょうか。
答えはシンプルです。
仏法は聴聞に極まる
つまり、
仏教の教えを聞き続けること
これがすべてだと説かれています。
信楽(摂取不捨の利益)について深く教えられている本はこちら

まとめ|煩悩は消えないが、苦しみは変えられる
この記事のポイントです。
・煩悩(欲・怒り・ねたみ)は誰にもある
・煩悩はなくすことができない
・しかし幸せになれないわけではない
・本当の問題は「死後の不安」
・それが解決すると煩悩は障りにならない
感想
すべての人は2つの難病にかかっているという。それは煩悩と死後が暗い心。煩悩は治らない難病で、死後が暗い心は治すことができる難病だという。この2つの難病は仏教をきかないと知ることのない病気だ。病院にいって診察されてわかる病気ではない。そこが仏教独特の考え方だと思う。
煩悩は死ぬまでなくすことができない。滝に打たれても、座禅をしても煩悩はなくならない。死ぬまで煩悩と付き合っていかなければならない。
しかし、煩悩があるままで幸せになることができる。それが死後が暗い心を治すことだといいます。信楽の身になることができれば、煩悩が障りにならなくなった世界に出られるという。煩悩が喜びに転じるといわれる。
本当にそんな世界があるのかと疑いたくなるが、もしそんな世界があるならその身になってみたいと思いました。それはお釈迦さまが説かれたことだから、本当だと思うが簡単に納得できることではないです。疑いの心はなくならないが、自分の目で確かめてみたいと思います。
仏法は聴聞に極まる。
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