「人は死んだらどこへ行くのか?」
これは誰にとっても無関係ではない、大きな問題です。
どれだけ健康な人でも、どれだけお金を持っている人でも、いつか必ず死を迎えます。では、その死の先はどうなるのでしょうか。
親鸞聖人は『高僧和讃』に、次のように教えられています。
専修の人をほむるには
千無一失とおしえたり
雑修の人をきらうには
万不一生とのべたまう
この「千無一失」と「万不一生」という言葉から、浄土へ往ける人と往けない人の違いについて考えてみましょう。
専修の人と雑修の人とは
ここでは、人間を大きく「専修の人」と「雑修の人」に分けて考えます。
専修の人とは、阿弥陀仏の本願によって他力の信心を獲得した、信心決定した人です。
一方、雑修の人とは、まだ他力の信心を獲得していない人をいいます。
では、なぜ信心決定することがそれほど大切なのでしょうか。
それを表した言葉が「千無一失」と「万不一生」です。
「千無一失」とはどういう意味か
「千無一失」とは、千人いても一人の失敗もない、という意味です。
信心決定した人は、一人残らず浄土へ往生することが定まると教えられます。
「自分は善いことをたくさんしてきたから浄土へ往ける」
「長年お寺へ参っているから大丈夫だろう」
「仏教の知識をたくさん持っているから往生できる」
ということではありません。
浄土往生が定まる要は、信心決定にあるのです。
だからこそ、浄土真宗では「信心」が非常に重要になります。
「万不一生」とはどういう意味か
それに対して「万不一生」とは、一万人いても一人も往生できない、という厳しい言葉です。
ここで「雑修の人をきらう」といわれるのは、単純に人を嫌ったり、排除したりする意味ではありません。
まだ信心決定していない人に対して、
「後生の一大事を解決するために、早く信心決定しなさい」
と勧められている言葉として受け止めることができます。
なぜなら、人間には必ず死がやってくるからです。
「いつか仏教を聞こう」
「もう少し年を取ってから考えればいい」
と思っていても、いつ死がやってくるかは誰にも分かりません。
だからこそ、生きている今、信心決定することが大切なのです。
親鸞聖人が生涯教えていかれたこと

浄土へ往けるかどうかは信心決定にかかっている
親鸞聖人の教えにおいて、浄土へ往けるかどうかという問題は、信心決定したかどうかが重要になります。
財産の多さでもありません。
社会的地位でもありません。
仏教を何年勉強したかでもありません。
善いことをどれだけしたかでもありません。
阿弥陀仏の本願による他力の信心を獲得したかどうかです。
そのため仏教を聞くことは、単に知識を増やすためではありません。
「仏教に詳しくなった」
「難しい仏教用語を覚えた」
それだけで終わるのではなく、自らの後生の一大事を解決し、信心決定するところまで聞き求めることが大切なのです。
最初から信心決定している人はいない
では、「自分はまだ信心決定していないから駄目なのか」と落ち込む必要があるのでしょうか。
生まれたときから信心決定している人はいません。
最初は仏教を知らないところから始まります。
「死んだらどうなるのだろう」
「何のために生きているのだろう」
「本当の幸せとは何だろう」
そんな疑問をきっかけに仏教を聞き始める人もいるでしょう。
大切なのは、そこで終わらず仏法を聞き続けることです。
蓮如上人が願われた「信心決定」
浄土真宗を広く伝えられた蓮如上人も、信心決定することを繰り返し勧められました。
『御文章』には、報恩講に参詣する人の中にも、信心を獲得した人と、まだ信心を獲得していない人がいることが示されています。
ただ仏教行事に参加しているからよいということではなく、「自分自身は信心決定しているのか」が問題になるのです。
そして蓮如上人は、次のように述べられています。
あわれあわれ、存命の中に
皆々信心決定あれかしと
朝夕思いはんべり
すべての人に、生きている間に信心決定してもらいたい。
朝から晩まで、そのことを願い続けているというお言葉です。
それほど信心決定は大切なことだと教えられているのです。
信心決定するために仏法を聴聞する
では、どうすれば信心決定できるのでしょうか。
浄土真宗では、仏法を聞く「聴聞」が重視されます。
ただし、話を聞いて知識を増やすだけではありません。
自分自身の問題として仏法を聞くことです。
「死んだらどこへ行くのか」
「阿弥陀仏の本願とは何か」
「他力の信心とは何か」
「なぜ自分には弥陀の救いが必要なのか」
こうしたことを、自分自身の後生の問題として聞き求めていくのです。
「仏法は聴聞に極まる」といわれるように、聞くことが大切にされています。
仏法を真剣に聞くことの大切さ

まとめ――死んだらどこへ行くのかを今考える
「死んだらどこへ行くのか」という問題は、死ぬ直前になって初めて関係する問題ではありません。
今、生きている私たち一人ひとりの問題です。
親鸞聖人は『高僧和讃』に、
「千無一失」
「万不一生」
という非常に重い言葉を示されています。
浄土往生において重要なのは、信心決定しているかどうかです。
だからこそ、仏教を聞く目的を曖昧にせず、生きている間に信心決定するところまで仏法を聞き求める。
蓮如上人が「あわれあわれ、存命の中に」と願われたように、「いつか」ではなく「今」の問題として後生の一大事に向き合うことが大切なのです。
感想
浄土へ往けるか往けないかは、信心決定したかしていないかにかかってくる。信心決定することの大切さがわかりました。
これからも聴聞を続け、早く信心決定したいです。
動画
因果の道理から親鸞聖人の教えについてわかりやすく書かれた本

仏教で教えられる幸せになるための行動について書かれた本

コメント