不可称不可説不可思議の信楽とは?親鸞聖人が説かれた「絶対に崩れない幸福」

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仏教には「信楽(しんぎょう)」という言葉があります。

浄土真宗において信楽は非常に重要な言葉であり、阿弥陀仏から賜る他力の信心を表します。

親鸞聖人は、この信楽について、

「不可称不可説不可思議の信楽」

と表現されています。

不可称とは、言葉で称え尽くすことができないこと。

不可説とは、言葉で説き尽くすことができないこと。

不可思議とは、人間の思いや考えでは計り知ることができないことです。

つまり信楽とは、それほど言葉では表現し尽くせない心の世界なのです。

では、なぜ信楽はそれほどまでに素晴らしいのでしょうか。

目次

信楽とはどんな心なのか

親鸞聖人は、生涯を通して阿弥陀仏の本願を明らかにされました。

その喜びは『正信偈』をはじめ、さまざまな言葉によって表されています。

しかし、信楽の世界は簡単に言葉で表せるものではありません。

そのため、親鸞聖人や歴代の高僧方は、さまざまな表現によってその世界を明らかにされています。

たとえば、

摂取不捨の利益

という言葉があります。

阿弥陀仏に摂め取られ、決して捨てられることがない利益です。

また、

無碍の一道

とも教えられます。

「碍」とは、さわりという意味です。

どんな出来事が起きても往生一定の身が崩れることのない世界を表しています。

また、信心は「金剛心」とも表現されます。

金剛とはダイヤモンドのように堅固で壊れないことを表す言葉です。

なぜ、このような言葉で信楽が表現されるのでしょうか。

そこには、私たちが普段求めている幸福との大きな違いがあります。

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私たちの幸福はなぜ崩れるのか

私たちは毎日、さまざまな幸せを求めています。

お金が欲しい。

健康でいたい。

好きな人と一緒にいたい。

仕事で成功したい。

人から認められたい。

もちろん、これらも人生において大切なものです。

しかし、仏教では世の中のすべては移り変わっていくと教えられます。

これを諸行無常といいます。

どれほど大切なものであっても、いつまでも同じ状態ではありません。

そのため私たちの幸福には、「いつか失うのではないか」という不安がつきまといます。

この問題を考えるうえで重要なのが、仏教で説かれる「三苦」です。

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仏教で説かれる「三苦」とは

仏教では、苦しみを「苦苦・壊苦・行苦」の三つに分けて教えられることがあります。

1.苦苦(くく)

苦苦とは、苦しいことそのものを苦しみと感じることです。

たとえば、

「体が痛い」

「暑くてつらい」

「病気になった」

「人間関係が苦しい」

など、私たちが普段「苦しい」と感じている苦しみです。

2.壊苦(えく)

壊苦とは、楽しかったものや大切にしていたものが崩れることによって生じる苦しみです。

大好きだった人から別れを告げられる。

順調だった仕事がうまくいかなくなる。

楽しみにしていた計画が台無しになる。

健康だった体が病気になる。

幸せだったからこそ、それを失ったときには苦しみが生じます。

3.行苦(ぎょうく)

行苦とは、すべてのものが変化し続けることに関わる苦しみです。

若さも変わります。

健康も変わります。

家族との関係も変わります。

自分自身も老いていきます。

そして最後には死を迎えなければなりません。

どれほど大切にしているものでも、永遠にそのままではありません。

これが「諸行無常」という現実です。

人生は滝つぼへ向かう小舟のようなもの

人生を、一艘の小舟にたとえて考えてみましょう。

小舟は激しい川の流れに乗って進んでいます。

その先には大きな滝があります。

いつ滝つぼへ到達するのかは分かりません。しかし、小舟は確実に滝へ向かっています。

私たちはその小舟の中で、

「儲かった、損をした」

「出世した、出世できなかった」

「好かれた、嫌われた」

「勝った、負けた」

と一喜一憂しています。

もちろん、それらも人生では大切な問題です。

しかし、たとえ小舟の中で億万長者になったとしても、滝つぼへ落ちる問題そのものが解決したわけではありません。

仏教が問題にしているのは、もっと根本的なところです。

老い、病み、そして死んでいかなければならない私たちが、どこに本当の安心を求めることができるのか。

そこで説かれるのが大悲の願船です。

大悲の願船とは

親鸞聖人は『教行信証』に、

「大悲の願船」

という言葉を記されています。

「大悲」とは、仏の大いなる慈悲です。

慈悲とは、苦しんでいる人を救い、幸せにしたいという心をいいます。

阿弥陀仏の本願は、苦悩するすべての人を救おうと誓われた願です。

その阿弥陀仏の本願を、大きな船にたとえられたのが「大悲の願船」です。

小さな舟から大きな船へ乗り換える。

そのようなたとえによって、阿弥陀仏の救いが表されています。

信心決定とは大悲の願船に乗ること

では、どうすれば大悲の願船に乗ることができるのでしょうか。

浄土真宗では、阿弥陀仏の本願を聞き抜き、他力の信心を獲ることを**信心決定(しんじんけつじょう)**といいます。

そして、この阿弥陀仏から賜った信心を「信楽」と表します。

信心決定した人は、死後の往生が定まり、弥陀の浄土へ往生して仏になる身に定まったと教えられます。

だからこそ信楽は、世間一般の幸福とは異なります。

お金は失うことがあります。

健康もいつまでも続くとは限りません。

地位も名誉も変わります。

人間関係にも別れがあります。

そして、この肉体そのものも最後には失わなければなりません。

しかし、阿弥陀仏の本願によって往生一定の身に定まったことは、死によって崩れるものではない。

だからこそ親鸞聖人は、その信楽を言葉では称え尽くすことも、説き尽くすことも、思い量ることもできない、

「不可称不可説不可思議の信楽」

と表現されたのです。

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仏法は聴聞に極まる

では、その信楽の世界を知るために何が大切なのでしょうか。

浄土真宗では昔から聴聞が重んじられてきました。

仏教を聞くことです。

阿弥陀仏とはどのような仏なのか。

本願とは何なのか。

なぜ私たちは救われなければならないのか。

そして、阿弥陀仏は私たちをどのように救おうとされているのか。

それを聞かせていただくことが大切です。

自分一人で考えているだけでは分からないからこそ、仏法を聞く。

「仏法は聴聞に極まる」といわれるように、浄土真宗では聞法が大切にされてきました。

まとめ|信楽とは崩れない幸せ

私たちは普段、さまざまな幸せを求めています。

お金、健康、仕事、家庭、人間関係、地位、名誉。

どれも人生を豊かにしてくれる大切なものです。

しかし、諸行無常の世の中では、どんなものも変化から逃れることはできません。

仏教は、その無常の人生を生きる私たちに、阿弥陀仏の本願を説いています。

そして、その本願によって賜る信心を「信楽」といいます。

親鸞聖人が、

「不可称不可説不可思議の信楽」

とまで讃えられた世界です。

滝つぼへ向かう小舟の中で、少しでも多くのものを手に入れることだけを人生の目的とするのではなく、大悲の願船に乗せていただく。

そのために仏法を聞く。

そこに、親鸞聖人が生涯をかけて明らかにされた浄土真宗の大切な教えがあります。

感想

人生は滝つぼに向かっている小舟であるというたとえがとても分かりやすかったです。小舟の上でどれだけ幸せでも、やがて滝つぼに落ちてしまいすべてがひっくり返ってしまう。だから早く大悲の願船にのせていいただくことが必要。大悲の願船にのれば浄土へ往くことができるからだという。

人生は必ず死を迎える。だからこそ死んだあとどこへいくのかをはっきりさせておく必要があると感じました。これからも聴聞を続けていきたいです。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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