「無碍の一道(むげのいちどう)」とは、親鸞聖人が示された、阿弥陀仏の本願によって必ず浄土へ往生できる道を表す言葉です。
「無碍」とは、妨げや障りがないことを意味します。
つまり、無碍の一道とは、
・無量光明土(阿弥陀仏の浄土)へ向かう道
・どんな障りにも妨げられない道
・往生が一定(必ず浄土に往生できる)となった道
ということです。
人間は煩悩が深く、自分の力だけで浄土へ往くことはできません。しかし、阿弥陀仏の本願力によって往生が定まると、もはやその往生を妨げるものは何もありません。これが「無碍の一道」です。
大悲の願船に乗せていただく
親鸞聖人は、
大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば
と詠まれています。
「大悲」とは、すべての人を必ず救うという阿弥陀仏の限りない慈悲です。
その慈悲は、私たちが自力の力で泳いで浄土へ向かうのではなく、阿弥陀仏がつくられた「大悲の願船」に乗せていただくことにたとえられます。
船に乗ってしまえば、自分の力で海を渡る必要はありません。
仏教の目的は大悲の願船を明らかにすること
親鸞聖人が明らかにされた浄土真宗では、仏教の中心は阿弥陀仏の本願です。
仏教とは、人間が努力して救いを勝ち取る教えではなく、阿弥陀仏の大悲によって救われる道を説かれた教えです。
だからこそ、煩悩を抱えたままの私たちにも救いの道が開かれています。
阿弥陀仏の本願について詳しくはこちら

「たのむ一念」で往生は定まる
蓮如上人は、
たのむ一念のとき、往生一定・御たすけ治定
と教えられています。
「たのむ一念」とは、阿弥陀仏から信心をいただ瞬間のことです。
その一念において、
・往生一定(浄土往生が必ず定まる)
となります。
つまり、阿弥陀仏に救われるときは、臨終ではなく平生の一念なのです。
その後は、人生の終わりを待って浄土へ往生し、仏となってすべての人を救うはたらきをすることになります。
「たのむ一念」についてはこちらも

まとめ
無碍の一道とは、阿弥陀仏の本願によって障りなく浄土へ至る道です。
親鸞聖人は、その道を「大悲の願船」と表現されました。私たちは自力で苦しみの海を渡るのではなく、大悲の願船に乗せていただくことで、往生が一定となります。
これが浄土真宗で説かれる「無碍の一道」の意味なのです。
感想
仏教とは大悲の願船一つを説かれているとわかりました。大悲の願船に乗ることで浄土へ往き仏に生れることができると学びました。
仏教であきらかにされた、浄土へ往き仏に生まれるという幸せ。それは後生の一大事の解決ともいい、死んだあとの幸せをはっきりさせることです。すべての人は必ず死にます。死んだあとの世界をあきらかにすることはすべての人にとって最重要なことだと思いました。
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