胡蝶の夢とは?「人生は夢か現実か」を仏教の無常観から考える

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「今起きていることは、本当に現実なのだろうか」

誰でも一度は、そんな感覚になったことがあるのではないでしょうか。

特に、人生で大きな苦しみや悲しみに直面したとき、「これは悪い夢であってほしい」と思うことがあります。

中国の思想家・荘子が語った「胡蝶の夢(こちょうのゆめ)」は、まさにその感覚を象徴する有名な逸話です。

この記事では、胡蝶の夢の意味をわかりやすく解説しながら、お釈迦さまが説かれた「諸行無常」の教えと、親鸞聖人の言葉を通して、人生の本当の姿について考えてみます。

目次

胡蝶の夢とは?荘子が語った有名な寓話

胡蝶の夢は、中国の思想家荘子(そうし)の著作『荘子』に登場する話です。

ある日、荘子は自分が蝶になって自由に飛び回る夢を見ました。

夢の中ではとても楽しく、「自分は蝶だ」と自然に感じていました。

しかし目が覚めると、そこには人間である荘子がいました。

そこで荘子は、次のように考えたのです。

・夢の中で蝶だったのは本当だったのではないか。

・今、人間だと思っているほうが夢なのではないか。

つまり、夢と現実の境界がわからなくなったという話です。

これが「胡蝶の夢」と呼ばれる理由です。

「夢だったらよかったのに」と思う瞬間

胡蝶の夢は単なる哲学の話ではありません。

私たちも、現実の中で似たような感覚を経験します。

例えば、

・大切な人との別れ

・病気の宣告

・失業

・人間関係の崩壊

など、あまりにも辛い出来事が起きたとき、

これは「夢じゃないか」

と思うことがあります。

しかし翌朝になっても状況が変わらないと、

「やはり現実だったか……」

と落胆してしまう。

「夢だったらよかったのに」と願う気持ちは、誰にでもある自然な感情です。

お釈迦さまは人生を「旅」にたとえられた

お釈迦さまは、人生をにたとえられました。

私たちは旅人のように、

・昨日から今日へ

・今日から明日へ

と進み続けています。

この旅には、後戻りができません。

どれほど楽しかった日々も、どれほど辛かった日々も、同じ形で戻ってくることはありません。

そして、お釈迦さまは、この世のすべてのものは変化し続けると説かれました。

それが「諸行無常(しょぎょうむじょう)」です。

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順境も逆境も続かない

人生には、

順境(楽しいこと・うまくいく時期)

逆境(苦しいこと・思い通りにならない時期)

があります。

しかし仏教では、どちらも永遠には続かないと教えます。

・成功はいつか終わる

・健康も変化する

・若さも失われる

・苦しみもまた変化していく

つまり、順境も逆境も「通り過ぎていくもの」なのです。

太宰治が感じた「唯一の真理」

作家の太宰治は『人間失格』の中で、次のように書いています。

ただ、いっさいは過ぎていきます。自分が今まで阿鼻叫喚で生きてきた、いわゆる人間の世界において、たった一つ、真理らしく思われたのはそれだけでした。

太宰治は、人生の苦しみの中で、

「すべては過ぎていく」

ということだけが確かな真理のように思えたと語っています。

これはまさに、仏教の無常観に通じる感覚です。

豊臣秀吉が詠んだ「夢のまた夢」

天下統一を成し遂げた豊臣秀吉も、死の直前に次の歌を残しました。

露とおち 露と消えにし わが身かな 

難波のことも 夢のまた夢

意味は、

・自分の命は露のように現れて露のように消える。

・天下統一という大事業も、振り返れば夢の中の夢のようなものだった。

ということです。

権力も名声も、永遠には残りません。

天下人でさえ、人生を「夢のまた夢」と感じたのです。

人生は夢のようだと表現した故事「一炊の夢」について

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親鸞聖人が見抜かれた「火宅無常の世界」

親鸞聖人は『歎異抄』で、次のように語られています。

火宅無常の世界は 万のこと皆もって そらごと・たわごと 真実あることなし  ただ念仏のみぞ まことにておわします 

「火宅無常の世界」とは?

火宅とは、火事になっている家のことです。

親鸞聖人は、この世界を、

・いつ壊れるかわからない

・安住できない

・常に変化し続ける

世界として見ておられました。

だから、

・財産

・地位

・名誉

・人間関係

など、この世のあらゆるものは、変化して消えていく「そらごと・たわごと」であり、永遠の真実ではないと教えられたのです。

では、何を拠り所に生きればいいのか?

胡蝶の夢、太宰治、豊臣秀吉、親鸞聖人——。

立場は違っても、共通しているのは、

「この世のものは永遠ではない」

という気づきです。

仏教は、だから絶望しなさいとは教えません。

むしろ、

・順境に執着しすぎない

・逆境に押しつぶされすぎない

・変化する世界の中で、変わらないものを求める

ことを教えています。

親鸞聖人は、その変わらない真実を阿弥陀仏の本願に見いだされました。

阿弥陀仏の本願について書かれている「歎異抄」について

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まとめ|人生は夢のように過ぎていく

胡蝶の夢は、「夢と現実の区別がつかなくなるほど世界は不確かである」という荘子の寓話です。

そして仏教は、

・すべては変化する(諸行無常)

・順境も逆境も続かない

・人生は旅のように過ぎていく

と教えます。

辛いときには「夢だったらよかった」と思うことがあります。

しかし、楽しいときもまた永遠ではありません。

だからこそ仏教は、移ろい変わる世界に振り回されるだけでなく、変わらない真実を聞き求めることを勧めているのです。

人生が夢のように過ぎていくからこそ、今この瞬間を大切にしながら、本当に失われないものは何かを考えることが、仏教の教えなのかもしれません。

感想

死を意識したときから、この世の出来事は夢だったと感じるといいます。嬉しかったことも辛かったことも夢を見ていたようだったと感じます。

人生が終わるとき夢のようだったといった豊臣秀吉の辞世の句は誰にでも当てはまると思いました。栄耀栄華を極めてもそれは生きている間だけの幸せだったのです。人生はどれだけ幸せでも戻ることができないし、留まることもできません。

仏教ではすべてのことは続かないことを諸行無常と教えられます。諸行無常を感じることが仏教を聞くために必要なことだとわかりました。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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