布施とは?
布施(ふせ)とは、人に与えたり、施したりすることです。
仏教では布施は、六度万行(六波羅蜜)の第一に挙げられる大切な実践であり、自分の持っているものを惜しみなく人に分け与える心をいいいます。
布施には大きく分けて「財施」と「法施」の二つがあります。
布施についてはこちらも

財施とは?お金や物を与える布施
財施(ざいせ)とは、お金や物を施し、人の生活を支えることです。
例えば、
・お金を寄付する
・食べ物や衣服を与える
・困っている人を助ける
・ボランティア活動をする
などが財施にあたります。
財施によって人は、
・お金
・健康
・地位
・名誉
・結婚
・豊かな生活
といった、私たちが日々求めている相対の幸福を得ることができます。
また、人に惜しみなく与える人は、多くの人から信頼され、愛されます。
困っている人を助ける人には自然と人が集まり、
・「あの人は優しい」
・「困ったときは助けてくれる」
と慕われ、尊敬される存在になるでしょう。
法施とは?仏教の教えを伝える布施
もう一つの布施が法施(ほうせ)です。
法施とは、お金や物ではなく、仏教の教えを伝えることです。
なぜ法施が尊いのでしょうか。
それは、法施によって人は絶対の幸福へ導かれるからです。
親鸞聖人が明らかにされた阿弥陀仏の救いには、摂取不捨の利益があります。
阿弥陀仏は、一度救い摂った人を決して見捨てることなく、未来永遠に救い続けてくださいます。
法施とは、この尊い教えを人に伝えることなのです。
「財は一代の宝、法は末代の宝」の意味
仏教には
財は一代の宝、法は末代の宝
という言葉があります。
財施によって得られる幸福は、生れてから亡くなるまでの人生を豊かにしてくれます。
しかし、お金や地位、健康、名誉などは、人生の終わりとともに手放さなければなりません。
一方、法施によって伝えられる仏法は、この世だけではありません。
未来永遠にわたる幸福へ導く教えです。
だからこそ、『法は末代の宝』といわれるのです。
相対の幸福を求めることに意味はあるのか?
では、お金や健康、地位などの相対の幸福を求めることには意味がないのでしょうか。
決してそうではありません。
私たちが生きていくためには、
・健康
・仕事
・家族
・お金
は欠かせないものです。
仏教は、それらを捨てなさいとは教えていません。
ただし、相対の幸福には共通した特徴があります。
それは一時的で、いつか失われるということです。
健康は病気になることがあります。
財産は失うことがあります。
人間関係も永遠には続きません。
だからこそ、相対の幸福だけを人生の目的にすると、不安や苦しみから完全に離れることはできません。
相対の幸福の先にある絶対の幸福
仏教が目指すのは、相対の幸福を否定することではありません。
相対の幸福を大切にしながらも、その先にある絶対の幸福を得ることです。
絶対の幸福とは、どのような環境になっても失われることのない、本当の安心と喜びです。
親鸞聖人は、その幸福は阿弥陀仏の本願をいただくことと教えられました。
相対の幸福と絶対の幸福についてはこちらも

親鸞聖人が説かれた恩徳報謝
親鸞聖人は『恩徳讃』で次のように詠まれています。
如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
骨を砕きても謝すべし
これは、
「阿弥陀如来の大慈悲のご恩は、身を粉にしても報いなさい。また、仏教を教えてくださった師や善知識のご恩も、骨を砕いてでも感謝しなさい」
という意味です。
法施とは、この大きな恩に感謝し、その教えを次の人へ伝えていく生き方でもあるのです。
まとめ
布施には、財施と法施の二つがあります。
・財施…お金や物を与え、人生を豊かにする相対の幸福を与える。
・法施…仏教の教えを伝え、未来永遠に続く絶対の幸福へ導く。
相対の幸福は、生きていくうえで大切です。しかし、それだけではいつか失われる不安から逃れることはできません。
仏教は、相対の幸福を大切にしながら、その先にある絶対の幸福を目指す道を教えています。
だからこそ親鸞聖人は、阿弥陀如来と仏法を伝えてくださった師のご恩に深く感謝し、その教えを人々に伝える法施を、何より尊いものとして勧められたのです。
感想
仏教では財施と法施と二つの布施が教えられていることを学びました。財施をすることで人から慕われ、愛されることもあるといいます。それに対して法施とは仏教の教えを伝えることです。
仏教では相対の幸福を求めつつ、絶対の幸福にたどりつくことが大事だと教えられます。それは目的と手段の関係です。どちらも大事にしていきたいです。
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