私たちは日々、「こうなれば幸せになれる」と考えて生きています。
・いい大学に入りたい
・安定した会社に就職したい
・出世したい
・お金持ちになりたい
・素敵な恋人や家族がほしい
これらは多くの人が求める幸福ですが、仏教ではこのような幸福を「相対の幸福」と教えられています。
一方で、仏教にはそれとはまったく異なる「絶対の幸福」が説かれています。
今回は、仏教で教えられる二つの幸福について解説します。
相対の幸福とは
相対の幸福とは、他人や周囲との比較によって感じる幸福です。
例えば、
・テストで友人より良い点数を取った。
・同年代より収入が高い
・人より良い家に住んでいる
・周囲から認められている
こうした喜びは、比較の上に成り立っています。
仏教では、比較によって得られる幸福は長続きしないと教えられています。
なぜなら、自分より優れた人を見れば苦しくなり、自分より恵まれない人を見れば安心するという、不安定な幸福だからです。
人はなぜ比較してしまうのか
人は自分の価値を確認するために、無意識に他人と比較しています。
例えば、
・年収
・学歴
・容姿
・地位
・財産
などを比べて、自分の幸せを判断しようとします。
昔から、
上見て暮らすな、下見て暮らせ
ということわざがあります。
自分より恵まれない人を見れば満足できる、という意味ですが、これは比較による幸福の特徴をよく表しています。
しかし、その幸福は他人の状況によって簡単に揺らいでしまいます。
他人の不幸の上に成り立つ幸福の問題
比較による幸福を追い求めると、
・人の失敗を喜ぶ
・人の不幸に安心する
・人を妬む
・人と競い続ける
という心が起きやすくなります。
仏教では、このような心を煩悩の働きとして教えられています。
他人が不幸だから安心する幸福は、決して本当の幸福とはいえません。
なぜなら、周囲の状況が変われば、自分の幸福もすぐに失われてしまうからです。
他人の不幸を喜ぶのは最低の幸福感

絶対の幸福とは何か
仏教では、比較によらない幸福を「絶対の幸福」と教えられています。
絶対の幸福とは、
・人と比べない
・境遇に左右されない
・お金や地位に依存しない
・一人いても揺るがない
幸福です。
どんな環境になっても失われず、老い、病、死が来ても崩れない幸せのことを「絶対の幸福」といわれます。
浄土真宗で説かれる信楽の身
浄土真宗では、阿弥陀仏の本願を疑いなく受け入れた身を「信楽(しんぎょう)」といいます。
親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願に救われた世界を、人間が求める究極の幸福として教えられました。
それは人との比較によって得られる幸福ではなく、自分一人でもよろこべる幸福です。
阿弥陀仏の本願に救われることについて

なぜ仏法は聴聞が大切なのか
絶対の幸福は、お金や地位を手に入れることで得られるものではありません。
親鸞聖人や蓮如上人は、繰り返し仏法聴聞を勧められました。
人生の苦しみを根本から解決する道を聞くことが、何より大切だからです。
まとめ
仏教では幸福には二種類あると教えられています。
相対の幸福
・人との比較による幸福
・お金、地位、名誉などによる喜び
・長続きしない
・周囲の状況によって変化する。
絶対の幸福
・比較によらない幸福
・境遇に左右されない
・一人いて喜べる幸福
私たちは日々、相対の幸福を追い求めています。しかし仏教は、その先にある絶対の幸福の道を示しています。
「本当に失われない幸福とは何か」
この問いを考えることが、仏法を聞く大切な一歩ではないでしょうか。
感想
普段求めている幸せとは相対の幸福、人との比較によって決まるものだといいます。幸せを感じたかったら自分よりも不孝な人を探して比べればいい。そうすれば自分はまだ恵まれているほうだと幸せを感じられる。
自分より幸せな人というのは数えきれないほどいる。ニュース番組で報道されるアスリートの活躍や芸能人の活躍を見ると、すごいなと感じるのと同時に自分には才能がなくて悔しい気持ちが起きます。一方では犯罪を犯して逮捕される人を見るとこの人より自分はましだなと思います。上には上がいるし下には下がいる。
仏教では人と比較しない幸福が教えられています。それが絶対の幸福だといわれます。一人いて一人喜べる幸せという。絶対の幸福とは人生で一番の幸せだから人と比べる必要はない。その身になれれば人生の目的を達成できたといえるくらい素晴らしいことだと教えられます。それほど素晴らしい幸福になれるなら、ぜひともなってみたいと思いました。
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