仏教が教える「運の良い人」になる3つの習慣
「運が良い人」と「運が悪い人」の違いは何でしょうか。
「あの人は運がいい」「たまたま成功しただけ」と思うことがあります。
しかし、仏教では運は偶然ではなく、自分の行いによって生まれるものだと教えられています。
仏教には「因果の道理」という教えがあります。
善い原因には善い結果が、悪い原因には悪い結果が生れるという、とてもシンプルな法則です。
今回は、仏教の視点から「誰でもできる運が良くなる習慣」を3つ紹介します。
⒈「たまたま」には業(ごう)が関係している
私たちは日常で、「偶然」「たまたま」という言葉をよく使います。
しかし仏教では、その偶然にも必ず原因があると教えられています。
その原因を業(ごう)といいます。
業とは仏教の言葉で、「行い」という意味です。
今まで自分が行ってきた行動や考え方、積み重ねてきた経験が、現在の出来事につながっています。
例えば、昨日Netflixで映画を観たとします。
「おすすめに表示されたから、たまたま観た」と思うかもしれません。
しかし、そのおすすめは、過去に自分が観た作品や興味を持ったジャンルをもとに表示されています。
つまり、「たまたま観た映画」にも、自分自身の過去の行いが関係しているのです。
これは恋愛でも同じです。
「たまたま出会った人に一目ぼれした」ということがあります。
しかし、その人に惹かれた理由は、自分でも気づいていない過去の経験にあるかもしれません。
例えば、
・子どもの頃に好きだった人に雰囲気が似ている。
・好きだった映画やアニメの登場人物に似ている。
・話し方や笑顔に安心感を覚える。
このように、一見偶然に思える出来事にも、必ず何らかの原因はあります。
私たちは「運が良かった」「運が悪かった」と簡単に言いますが、仏教ではその背景には自分の業があると考えます。
今の運命は、これまでの行いの積み重ねによってつくられているのです。
因果の道理についてはこちらも

⒉ 結果が出なくても自暴自棄にならない
努力しているのに結果が出ないと、「自分には運がない」と落ち込んでしまうことがあります。
しかし仏教では、善い行いは必ず善い結果を生みますが、その結果が現れる時期は人それぞれだと教えられています。
このことを分かりやすく教えてくれる昔話が、「わらしべ長者」です。
ある貧しい男が、観音様のお告げを受けて旅にでます。
最初に手にしたのは、たった一本のわらしべでした。
男は歩いている途中で、泣いている赤ん坊を見つけます。
わらしべにアブを結び付けて赤ん坊に見せると、赤ん坊は泣き止みました。
母親は感謝して、みかんを三つ渡します。
男はそのみかんを、喉が渇いて苦しんでいる娘に譲ります。
娘はお礼として絹の反物を渡しました。
その反物は馬へと変わり、男は死にかけていた馬を献身的に世話します。
翌朝には馬は元気になり、その後、その馬を欲しがった長者との縁が生れます。
さらに、みかんを渡した娘が長者の娘だとわかり二人は結婚することになります。
男は国一番の長者となりました。
この物語は、単に運が良かった話ではありません。
目の前の人を助け、小さな善い行いを積み重ねた結果が、大きな幸せへとつながっていった物語です。
仏教には、
善因善果(ぜんいんぜんか)
という言葉があります。
善い原因は、必ず善い結果を生みます。
畑に種をまいても、翌日には芽はでません。
水をやり続けることで、やがて花が咲き、実がなります。
人生も同じです。
結果が出ないからといって途中であきらめず、善い行いを続けることが、運を育てることにつながります。
結果を出せる人の特徴とは

⒊ 慈悲を実践しよう
「わらしべ長者」の主人公が幸せになった一番の理由は、慈悲を実践していたからです。
慈悲とは、苦しんでいる人を見過さず、「何とか楽にしてあげたい」と願う心です。
主人公は、自分の利益を優先したのではありません。
泣いている赤ん坊を助け、困っている娘にみかんを譲りました。
どちらも見返りを期待した行動ではありません。
仏教では、このような与える行いを布施(ふせ)といいます。
布施とは、お金を寄付することだけではありません。
・笑顔で挨拶をする。
・「ありがとう」と感謝を伝える。
・困っている人に手を差し伸べる。
・人の話を最期まで聞く。
こられも立派な布施です。
善い行いは、すぐに結果が出るとは限りません。
しかし、その一つひとつが善い縁となり、やがて人生を豊かにしてくれます。
「わらしべ長者」は、偶然成功したのではありません。
慈悲の心を持ち、善い行いを積み重ねたことが、幸運という形で実を結んだのです。
幸せになるための六つの行い

まとめ
仏教では、運は偶然ではなく、自分の行いによって育まれるものだと教えられています。
今日からできる運が良くなる習慣は、次の3つです。
・「たまたま」にも原因があることを知る。
・結果が出なくても善い行いを続ける。
・慈悲と布施を実践する。
運を変える特別な方法はありません。
毎日の小さな親切や思いやり、そして善い行いの積み重ねが、未来の幸せをつくります。
今日まく善い種は、いつか必ず善い実となって自分自身に返ってくるのです。
感想
たまたま運が良かったなと思うことは日常生活でもよくあります。しかしその原因がなんだったのかはわかりません。仏教の教えにはたまたまや偶然にも原因があると教えます。だから運がいいと思うことが起きたときは、過去に善い行いをしていのだなと思うようになりました。
また、善い行いをすれば必ず善い結果が返ってくるということにも意識が向くようになりました。すぐに結果が返ってこなくても続けて善い行いをすることが大事であることもよくわかりました。
コメント