「幸せになりたい」
これは、誰もが願っていることではないでしょうか。
お金が欲しい。健康でいたい。仕事で認められたい。幸せな家庭を築きたい。人から愛されたい。
私たちはさまざまな幸せを求めて生きています。
ところが親鸞聖人は、仏教を聞く目的は、こうした一時的な幸せを手に入れることではなく、「信心獲得」することにあると明らかにされています。
そして信心獲得した人は、**「摂取不捨の利益」**にあずかると教えられます。
では、摂取不捨の利益とは、どのような幸せなのでしょうか。
仏教を聞く目的は「信心獲得」
蓮如上人は『御文章』に、次のように言われています。
抑、毎月両度の寄合の由来は何の為ぞというに、(中略)信心獲得の為なるが故なり
毎月二回集まって仏法を聞くのは何のためなのか。
それは、信心獲得のためであると教えられています。
仏教を聞く目的を見失ってしまうと、「いい話を聞いた」「勉強になった」で終わってしまいます。
親鸞聖人の教えにおいて大切なのは、聞いた知識の量ではありません。
仏法を聞き抜いて、信心獲得することなのです。
仏教を聞く目的とは

信心獲得すると「摂取不捨の利益」にあずかる
では、信心獲得すると、どうなるのでしょうか。
そこで教えられるのが、**摂取不捨の利益(せっしゅふしゃのりやく)**です。
「摂取」とは、摂め取ること。
「不捨」とは、決して捨てないということです。
つまり摂取不捨とは、阿弥陀仏に摂め取られ、決して捨てられることのないことをいいます。
親鸞聖人は、信心獲得した人は、この摂取不捨の利益にあずかると教えられています。
信心獲得についてはこちらも

私たちが求めている幸せはいつか崩れる
私たちは普段、さまざまなものに幸せを求めています。
お金、地位、役職、人気、名声、結婚、家庭、美貌、才能、健康などです。
もちろん、これらが悪いわけではありません。お金も健康も家庭も、私たちが生きていくうえで大切なものです。
しかし、一つ大きな問題があります。
いつまでも続くとは限らないことです。
どれだけお金を持っていても失うことがあります。
健康だった人も病気になることがあります。
高い地位についていても、いつかその役職から離れる日がやってきます。
若さや美貌も変化していきます。
大切な人とも、いつか別れなければなりません。
そして最後には、どれほど大切にしてきた財産や地位であっても、死んでいくときにはすべて置いていかなければなりません。
だからこそ、手に入れたときには喜べても、
「いつまで続くだろうか」
「失ったらどうしよう」
という不安がつきまといます。
仏教では幸福は二種類あると教えられる

摂取不捨の利益は「崩れない幸せ」
それに対して、摂取不捨の利益は、世間一般で求められている幸せとは性質が異なります。
何があっても阿弥陀仏にガチッと摂め取られ、決して捨てられない。
それが摂取不捨の利益です。
お金がなくなったら崩れる幸せではありません。
地位を失ったらなくなる幸せでもありません。
健康を失ったら消えてしまう幸せでもありません。
さらには、死によって壊されてしまう幸せでもないと教えられます。
言い換えれば、
「何があっても崩れない幸せ」
「決して裏切られることのない幸せ」
といえるでしょう。
これこそ、親鸞聖人が明らかにされた信心獲得の利益なのです。
「噫」に表された信心獲得の喜び
では、摂取不捨の利益にあずかった喜びとは、どれほど大きなものなのでしょうか。
親鸞聖人は『教行信証』に、次のように言われています。
噫、弘誓の強縁は多生にも値いがたく、真実の浄信は億劫にも獲がたし
最初の「噫(ああ)」という一字には、親鸞聖人の大きな感動が表れています。
「弘誓の強縁」とは、阿弥陀仏の本願によって救われることです。
そして「多生にも値いがたく」とは、生まれ変わり死に変わりを繰り返しても、容易には遇うことのできないご縁であることを表しています。
また「億劫にも獲がたし」の「億劫」とは、想像もできないほど長い時間を表す言葉です。
それほど得難い「真実の浄信」を獲ることができた。
そこに親鸞聖人の大きな喜びが表されています。
なぜ信心獲得すると大慶喜が起きるのか
私たちは何かを手に入れるたびに喜びます。
しかし、その喜びの多くは長続きしません。
欲しかったものを手に入れても、しばらくすると別のものが欲しくなります。
一つ願いがかなえば、また次の願いが出てきます。
しかも、手に入れたものを失う不安から完全に離れることはできません。
ところが信心獲得して摂取不捨の利益にあずかれば、
「何があっても捨てられない」
という身になると教えられます。
だからこそ、大きな喜びである**「大慶喜」**が起きるのです。
まとめ|摂取不捨の利益とは決して捨てられない幸せ
私たちは、お金、健康、地位、名声、結婚、家庭など、さまざまな幸せを求めています。
それらも大切なものですが、いつか変化し、失われる可能性があります。
親鸞聖人が明らかにされたのは、それらとは異なる**「何があっても崩れない幸せ」**です。
それが、摂取不捨の利益です。
阿弥陀仏に摂め取られて、決して捨てられない。
だから親鸞聖人は、仏法を聞く目的を信心獲得にあると明らかにされました。
何を手に入れれば幸せになれるのか。
何を失ったら自分の幸せは崩れてしまうのか。
そして、死を前にしても崩れない幸せとは何なのか。
摂取不捨の利益という教えは、私たちが一生をかけて求めている「本当の幸せ」とは何かを問いかけているのです。
感想
仏教を聞く目的は信心獲得するためであることがわかりました。信心獲得とは摂取不捨の利益ともいい、絶対に捨てられることのない幸せだといいます。
私たちが普段追い求めている幸せは、キリがないし、続きません。しかも死を前にするとすべて崩れてしまう幸せです。だから幸せを手に入れても安心することはできません。
必ず崩れてしまう幸せしか知らない私たちですが、摂取不捨の利益があるということを知れたのはとても幸運なことだと思いました。これからも続けて聴聞していきたいです。
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