依存症から抜け出すには?仏教の「諦観」と「無明の闇」から人生を考える

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「やめたほうがいいと分かっているのに、やめられない」

パチンコ、酒、買い物、ゲーム、スマートフォンなど、現代にはさまざまな依存があります。

依存している本人も、

「こんなことをしている場合ではない」

「本当はやめなければならない」

と分かっていることがあります。

それでも、つらい現実から逃れるために、また同じことを繰り返してしまう。

仏教では、苦しみから逃げるのではなく、「なぜ自分はこのような苦しみを抱えることになったのか」その原因を明らかにすることを重視します。

そこに関係する仏教の言葉が「諦観」です。

この記事では、依存症と仏教の関係について考えながら、「諦観」「自因自果」「無明の闇」という仏教の教えから、苦しみの原因を見つめることの大切さを解説します。

目次

依存症とは「つらい現実から逃げること」なのか

たとえば、次のような男性がいたとします。

妻とは離婚し、子供に会えなくなってしまった。

こらからの生活にも不安を抱えている。

その大きな原因となったのが、借金でした。

借金を返済しなければならない。

生活を立て直さなければならない。

しかし、現実と向き合うことがつらいため、パチンコをしたり、酒を飲んだりしてしまう。

一時的には嫌なことを忘れられるかもしれません。

しかし、借金そのものがなくなったわけではありません。

むしろ、パチンコや酒にお金を使うことで、さらに状況は悪化する可能性もあります。

そして、悪化した現実がさらに苦しくなり、またパチンコや酒に逃げる。

このように、

苦しい現実から逃げる

依存する

問題がさらに大きくなる

さらに苦しくなる

また依存する

という悪循環に陥ることがあります。

依存症にはさまざまな原因があり、医学的、心理的な支援が必要になる場合もあります。

したがって、単純に「意思が弱いからやめられない」と考えるべきではありません。

ただ、仏教の視点から見ると、ここには「苦しみから目をそらし続ける」という問題を見ることができます。

わかっちゃいるけど、やめられない

依存症の苦しさを表す言葉に、

「わかっちゃいるけど、やめられない」

というものがあります。

頭では分かっている。

パチンコをしている場合ではない。

酒を飲んでいる場合ではない。

本来なら借金を返済し、生活を立て直さなければならない。

それでも、つらい現実から逃げるために繰り返してしまう。

ここで重要なのは、「なぜ自分はそこまで現実から逃げたくなるのか」ということです。

表面的な行動だけを見るのではなく、その奥にある原因を見つめなければなりません。

仏教は、目の前に現れた結果だけを見るのではなく、その結果を生み出した原因を明らかにする教えでもあります。

仏教の「諦観」とは何か

仏教には「諦観(たいかん)」という言葉があります。

諦観とは、簡単にいえば、物事の原因や真実を明らかに見つめることです。

「なぜ、このような結果になったのか」

「何が原因だったのか」

「その原因はどこから生まれたのか」

と、一つ一つを明らかにしていきます。

先ほどの男性であれば、

「妻と離婚してしまった」

「子供に会えなくなってしまった」

という結果だけを見て嘆くのではありません。

なぜ、そのような結果になったのかを考えます。

その原因の一つが借金だった。

では、なぜ借金を作ったのか。

なぜお金を使い続けたのか。

なぜパチンコをやめられなかったのか。

なぜ現実から逃げる必要があったのか。

そこまで原因を掘り下げていく。

これが「諦観」という考え方につながります。

「自因自果」とは、自分の行いが自分の結果を生むということ

仏教では、自因自果(じいんじか)という考え方があります。

これは、自分がつくった原因によって、自分に結果が現れるという考え方です。

自分の行いが原因となり、その結果を自分が受ける。

これが因果の道理です。

自分自身の行動によって生み出した問題については、その原因から目をそらさないことが大切です。

反対に、

「自分がこんな目に遭ったのは、あいつのせいだ」

「妻が悪い」

「会社が悪い」

「社会が悪い」

と、すべてを他人のせいにしてしまうことがあります。

仏教では、このように原因を外側だけに求めてしまうのではなく、自分自身の行いに目を向けることが大切だと考えます。

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原因を見なければ、同じ苦しみを繰り返す

人生で問題が起きたとき、最も簡単なのは現実から逃げることです。

嫌なことがあれば酒を飲む。

不安になればパチンコをする。

孤独を感じればスマートフォンを見続ける。

寂しさを感じれば、誰かに依存する。

その瞬間だけは、苦しみを忘れられるかもしれません。

しかし、原因そのものが解決されたわけではありません。

そのため、また同じ苦しみがやってきます。

仏教では、苦しみをなくすためには、まず苦しみが生じている原因を知ることが重要だと考えます。

原因を見ずに逃げ続けている限り、人生はなかなか変わりません。

だからこそ、苦しいときほど、

「自分は今、何に苦しんでいるのか」

「その苦しみは、どこから生まれているのか」

と自分自身を見つめる必要があります。

仏教では「人生は苦なり」と教える

では、なぜ人間はそこまで苦しむのでしょうか。

仏教では、人生にはさまざまな苦しみがあると教えられています。

代表的なものが四苦八苦です。

生苦

生きることにともなう苦しみです。

人生には、思い通りにならないことや、つらいことがあります。

老苦

年齢を重ねれば、誰もが老いていきます。

若さを失っていくことや、身体の衰えにともなう苦しみです。

病苦

病気になることによって生じる苦しみです。

健康でいたいと思っていても、病を避けられないことがあります。

死苦

人間はいつか必ず死ななければなりません。

死への不安も恐怖も、人間が抱える苦しみの一つです。

愛別離苦

愛する人と別れなければならない苦しみです。

失恋、離婚、生き別れ、死別なども含まれます。

怨憎会苦

嫌いな人や憎い人と出会わなければならない苦しみです。

「できれば会いたくない」と思っている人と、仕事や生活の中で顔を合わせなければならないこともあります。

求不得苦

求めても得られない苦しみです。

「お金が欲しい」

「恋人が欲しい」

「認められたい」

「幸せになりたい」

と思っても、必ず思い通りになるとは限りません。

五蘊盛苦

私たちの身体や心を構成する五蘊が盛んであることによって生じる苦しみです。


このように、仏教では人間の人生にはさまざまな苦しみがあると説かれています。

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苦しみの根本にある「無明の闇」

では、これらの苦しみは、なぜ生まれるのでしょうか。

仏教では、その根本にあるものを無明の闇(むみょうのやみ)と教えられます。

無明の闇が破られると「本当の幸せ」が見えてくる

仏教は、単に「苦しい人生を我慢しなさい」と教えるものではありません。

苦しみには原因がある。

その原因を明らかにする。

そして、その根本にある迷いを明らかにしていく。

そこに仏教の大きな特徴があります。

浄土真宗では、無明の闇が破られた世界を、信楽(しんぎょう)という言葉で表します。

信楽とは、阿弥陀仏の本願をツユチリほどの疑いもなく信じることです。

自分の力だけで迷いを断ち切って幸せになるのではありません。

自分自身が煩悩にまみれ、迷い続ける存在であることを知らされ、その私を救おうとする阿弥陀仏の本願に出遇う。

そこに、仏教が教える本当の幸せがあります。

苦しみから逃げるのではなく、苦しみの原因を見つめる

人生が苦しいとき、私たちはどうしても、その苦しみから逃げたくなります。

酒を飲む。

ギャンブルをする。

買い物をする。

スマートフォンを見る。

誰かに依存する。

その瞬間だけは、苦しいみを忘れられるかもしれません。

しかし、苦しみの原因が残ったままなら、また同じ苦しみがやってきます。

だからこそ仏教では、苦しみそのものから目をそらすのではなく、

「なぜ私は苦しんでいるのか」

と原因を明らかにすることが大切なのです。

それが「諦観」ということです。

そして、自分の行いによって生み出した結果については、自分自身の原因にも目を向ける。

それが「自因自果」という因果の道理です。

人生には、どうにもならない苦しみがあります。

しかし、だからこそ、その苦しみから逃げ続けるのではなく、自分の人生をありのままに見つめることが大切です。

仏教は、苦しみの中にいる私たちに、

「その苦しみには原因がある。その原因を明らかにしなさい」

と教えているのです。

苦しみから逃げることではなく、苦しみの原因を明らかにする。

その先に、人生の本当の意味がみえてくるのではないでしょうか。

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感想

すべての結果はには必ずそうなった原因がある。原因を明らかにみることを諦観ということを学びました。結果を変えたければ原因を変えななければなりません。

人生がうまくいかないとき、現実逃避をしたくなる気持ちはとてもわかります。でも現実逃避をすると必ず自分が苦しくなることもわかっているので逃げないようにしています。

仏教の教えを学び、人生を良くしていきたいです。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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