要約
■ 長生きのリスク
・ 経済的不安 健康の不安 認知症
・ 昔は長生きすることはめでたいことだった
→ 長寿 60才くらいで長生きだった
→ 敬老 老人の経験や知識は敬われた 精神的支柱だった
・ 今は老害といわれる
→ 年をとって感情の起伏が激しくなる 感情を抑えられない
→ 認知症で人に迷惑をかける
■ 中国の儒教の教え 孔子
・ 40才 不惑
・ 50才 知名 天命を知る
・ 60才 耳順 人の意見も素直に聞ける
・ 70才 従心 心のままに行動しても道徳倫理に反するようなことはしない
■ 仏教では人生を難度海にたとえられる
・ 難度海には苦しみの荒波が次から次へとやってくる
→ 人間関係の波 病気の波 経済的な悩みの波 その他いろいろな不安や悩み
・ 難度海には丸太ん棒や板切れといった浮遊物がある 泳ぐのに疲れたら丸太ん棒や板切れにすがれば、一時的には休むことができる しかし丸太ん棒や板切れはひっくり返ってしまい、塩水を飲んで苦しくなる
・ こんな辛い思いをしてまで、なぜ泳がなければならないか?
→ 親鸞聖人は難度海を渡しきる大船があると明らかにされた
→ その船を大悲の願船という
・ 大悲とは大慈悲 苦しんでいる人を放っておけない如来の慈悲
大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず (教行信証)
■ 大悲の願船に乗せていただいたことを信心決定という 今日の言葉では絶対の幸福という
感想
長生きをすることにはさまざまなリスクがある。それでもなお長生きすることに意味があると仏教では教えられる。それはこの人生という難度海を渡しきる大きな船に乗ることだと説かれる。
大悲の願船に乗ることができれば、人生が明るくなるといわれる。確かに海で泳いでいて大きな船に乗ることがきたら、さぞ助かることだとわかる。
しかしそれはたとえであって、実際の人生がどう変わるのかがわからない。悩みが無くなることではないと思うし、生きていれば不安だってなくならない。不幸なことが一切なくなるわけでもないだろう。
この疑問がなくなるまで聴聞を続けなけばならない。
仏法は聴聞に極まる。
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