生の始まりと死の終わりはなぜ「闇の中」にあるのか【空海と仏教の生命観】

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生の始まりと生の終わりは闇の中にある

「人はいつ生まれ、いつ死ぬのか」

これは古代から現代に至るまで、多くの人が考え続けてきた大問題です。

平安時代の僧、空海は次のように語っています。

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始まりに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥し

「私たちは生の始まりにも暗く、死の終わりにも暗い」という意味です。

現代の医学や科学が進歩した今でも、「生命とは何か」「私はいつ生まれたのか」「死とは何か」という問いに、完全な答えは出ていません。

この記事では、仏教の生命観から、

・人はいつ生まれるのか

・死とは何か

・仏教が説く「不一不異」

・過去世・現在世・未来世のつながり

について分かりやすく解説します。

目次

人はいつ生まれたといえるのか

私たちは普通、「誕生日」を生れた日だと思っています。

しかし、本当に「私」が始まった瞬間はどこなのでしょうか。

受精の瞬間なのか

キリスト教では、「受精した瞬間に魂が与えられる」という考えがあります。

一方で、科学の世界では様々な議論があります。

・受精には約2日ほどかかる

・受精後14日までは分裂が続き、双子になる可能性もある

・脳の形成は15日前後から始まる

そのため、

・「受精した瞬間が生の始まり」

・「脳が形成された時が始まり」

・「14日以前はまだ人間ではない」

など見解が分かれています。

つまり、「ここから完全に私である」と断定できる一点を、明確に示すことは難しいのです。

死とはどこをもって死なのか

では逆に、「私はいつ死ぬのか」

これも単純ではありません。

昔は、

・心臓が止まったら死

と考えられていました。

しかし現代医療では、

・脳が機能停止しても心臓が動いている状態

があります。

これが「脳死」です。

脳死を「死」と見做すかどうかについても、国や宗教、価値観によって意見が分かれています。

つまり、

・無から有になる瞬間

・有から無になる瞬間

どちらも、人間には完全には分からないのです。

だからこそ、空海は

生の始まりに暗く、死の終わりに冥し

と語られたのでしょう。

無から有は生れないという仏教の教え

仏教では、「結果には必ず原因がある」と教えられます。

これを因果の道理といいます。

何もないところから突然、何か生れることはない。

また、存在していたものが完全になくなることもない。

これは論理的に考えても不自然です。

例えば、

・水は蒸発して雲になる

・雲は雨になる

・木は燃えて灰になる

形は変わっても、完全な無になっていません。

仏教では、人間も生命も同じように「連続している」と考えます。

因果の道理について詳しくはこちら

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仏教は「常見」と「断見」を否定する

仏教では、二つの極端な考え方を誤りだと説かれています。

常見(じょうけん)

「固定不変の私という存在がずっと続くという」 

という考えです。

断見(だんけん)

「死んだら無になって私という存在はなくなってしまう」

という考えです。

仏教では、このどちらにも偏らない中道が説かれています。

不一不異とは何か

仏教では「不一不異」という言葉があります。

・一つではない

・しかし全く別でもない

という意味です。

例えば、

・子どもの頃の自分

・学生時代の自分

・今の自分

は身体も心も変化しています。

細胞も考え方も違います。

だから「全く同じ私」ではありません。

しかし完全に別人かというと、そうでもありません。

確かにつながっています。

これを仏教では「不一不異」と表現します。

三世でつながる生命

仏教では生命は三世にわたって続くと教えられます。

・過去世

・現在世

・未来世

です。

三世の流れ

過去世 → 現在世 → 未来世

この三世をつないでいるものが「業力(カルマ)」です。

身体も心も同一ではありません。

しかし、行いによって生じた(業)が未来へ影響していく。

だから仏教では、

・「まったく同じ私」が永遠に続くのでもなく、

・「死んだら完全消滅」でもない

と教えられるのです。

三世因果とカルマについてはこちらも

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まとめ|生と死の問題を仏教はどう見るのか

空海の言葉、

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始まりに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥し

は、現代にも通じる深い言葉です。

科学が進歩しても、

・人はいつ生まれるのか

・死とは何か

・私とは何か

について完全な答えは出ていません。

仏教では、

・無から有は生じない

・有が完全な無になることもない

・生命は因果によって連続している

と説かれます。

そして、

・常見でもなく

・断見でもない

「不一不異」の中道の生命観が示されています。

私たちは、「今の生」だけを見ているようでいて、実は過去から未来へとつながる大きな流れの中に生かされているのです。

感想

生の始まりも生の終わりも、いつなのかはっきりとわかっていない。それは科学的にみてもまだ解明されていないことです。普段あまり考えることはないが、考え始めると答えはでません。

無から有になるというのは論理的ではないという。それは原因なしに結果は現れないからで、結果には必ず原因があるからです。

仏教では固定不変の私というものがずっと続く思想ではなく、死んだら無になって私という存在はなくなってしまう思想でもないと教えられています。心身は異なっていても連なっているのは業力だという。

仏教の教えはとても論理的であることに驚きます。結果に対する明確な原因が教えられていてわかりやすい。聞けば聞くほど納得のいく教えだとわかりました。

動画

要約

■ 生の始まりと生の終わりは闇の中にある

☆ 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始まりに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥し  (空海)

・ 受精の瞬間に無から私という有ができたか?

→ 受精には二日間かかる

・ どの段階をもって私は生まれたといえるのか

→ 受精してから2週間くらいは何人の子供ができるのかわからない

・ どこをもって私が生れたといえるか

→ キリスト教では受精した瞬間に魂が吹き込まれたといわれている

・ 受精して14日以内なら人間じゃないという科学者もいる

・ 脳の形成には15日くらいかかるので、15日経ったら私の始まりだという人もいる

・ 霊魂とか生命の存在の定義ははっきりされていない

■ 私というものが死ぬと消えるなら、どこをもって消えるといえるのか

・ 心臓が止まったときに死んだといわれるのは、心臓が止まると脳が死ぬから私は死んだといわれる

→ 脳が死んでも心臓は動いている状態がある それを死とみなすのか

→ 脳死 = 死ではない

・ 無から有になる瞬間もわからなければ、有から無になる瞬間もわからない

→ 空海のいうとおり生の始まりも、生の終わりも闇のなかにある

■ 無から有になるというのは論理的ではない

・ 論理的とは結果には必ず原因があるということ

・ 何も無いところから突然有が生じることはない また有から無になることも論理的ではない

■ 万物は形を変えながら続いている

・ 常見 固定不変の私という存在がずっと続くという思想 

・ 断見 死んだら無になって私という存在はなくなってしまう思想

→ 仏教では常見も断見も間違っていると説かれている 

・ 不一不異と説かれる 

→ 一つにあらず異なってもいない

三世

・ 過去世 → 現在世 生 → 死 → 未来世

→ 過去世と現在世と未来世の私は心身が違う 不一不異

・ 心身は異なっていても連なっているのは業力(カルマ)

感想

生の始まりも生の終わりも、いつなのかはっきりとわかっていない。それは科学的にみてもまだ解明されていないことだ。普段あまり考えることはないが、考え始めると答えはでない。

無から有になるというのは論理的ではないという。それは原因なしに結果は現れないからで、結果には必ず原因があるからだ。

仏教では固定不変の私というものがずっと続く思想ではなく、死んだら無になって私という存在はなくなってしまう思想でもないと教えられる。心身は異なっていても連なっているのは業力だという。

仏教の教えはとても論理的であることに驚く。結果に対する明確な原因が教えられていてわかりやすい。聞けば聞くほど納得のいく教えだとわかる。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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