「ずるい人ほど得をしているように見える」
「悪いことをしても平気な人がいる」
「真面目な人が損をしている」
そんなことを思ったことはないでしょうか。
しかし仏教では、
「悪因悪果」
悪い行いには、必ず悪い結果が現れる、
とハッキリ教えられています。
今回は、
・ずるい人の特徴
・ずるい人の考え方
・ずるい人の末路
・なぜ悪人でも栄えることがあるのか
・親鸞聖人の教え
について、仏教の観点からわかりやすく解説します。
仏教で教えられている因果の道理についてはこちらも

ずるい人の特徴とは
ずるい人は「煩悩」に振り回されている
仏教では、人を苦しめることを「煩悩」といいます。
これを別の言葉で「惑(わく)」ともいいます。
人間には、
・人から愛されたい
・認められたい
・得をしたい
・勝ちたい
・楽をしたい
という心があります。
これを、
・愛欲(あいよく)
・名利(みょうり)
などと教えられています。
ずるい人は、この煩悩に振り回され、
「自分さえよければいい」
という考え方になっていきます。
煩悩が悪い行いを生み出す
煩悩は、やがて行動になります。
仏教では、行いを「業(ごう)」といいます。
例えば、
煩悩 行い
愛欲 不倫
名誉欲 パワハラ
利益欲 盗み
嫉妬 悪口
怒り 暴言
などです。
「バレなければいい」
「自分だけ得をしたい」
という心から、悪業が造られていきます。
人間の持つ代表的な三つの煩悩について

仏教で説かれる「惑業苦」とは
仏教では、
「惑→業→苦」
の流れを「惑業苦」と教えられています。
・惑=煩悩
・業=悪い行い
・苦しみ=苦しみ
です。
煩悩によって悪い行いをすると、必ず苦しみが起きます。
例えば、
・不倫→離婚
・パワハラ→左遷
・盗み→逮捕
などです。
なぜ悪いことをしても栄えている人がいるのか
ここで、
「悪いことをしているのに成功している人がいる」
と思う人もいるでしょう。
しかし、お釈迦様は『ダンマパダ』で、
まだ悪の報いが熟しないあいだは、悪人でも幸運に遇うことがある。しかし、悪の報いが熟したときには、悪人はわざわいに遇う。
と教えられています。
悪業には、すぐ結果が出るものもあれば、時間がかかるものもあります。
種をまいても、すぐ実がならないのと同じです。
しかし、
「業力不滅」
業の力は決して消えない、
と仏教では教えられています。
だから、
・ごまかせても
・隠せても
・逃げられたように見えても
悪因には、必ず悪果が現れるのです。
ずるい人の考え方
ずるい人は、
「業→苦」
つまり、
「どうすれば悪い結果を避けられるか」
ばかり考えています。
・バレないようにする
・証拠を消す
・人のせいにする
・言い逃れする
しかし仏教は、
「悪い結果を避ける方法」
ではなく、
「悪い原因を作らないこと」
を教えています。
原因を変えなければ、結果は変わらないからです。
惑業苦の輪から抜け出すには
苦しみが起きると、
・欲張る
・怒る
・妬む
・恨む
そしてまた悪業を造ってしまいます。
では、どうすれば止められるのでしょうか。
「惑→業」を止める
仏教では、
「悪い心が起きても、行動に移さない」
ことが大切だと教えられています。
・腹が立っても怒鳴らない
・欲しくても盗まない
・妬んでも傷つけない
これが自分を守ることになるのです。
「苦→惑」を止める
また、
「苦しい時ほど煩悩に流されない」
ことも大切です。
苦しいとき、人はすぐ
・他人のせい
・社会のせい
・環境のせい
にしたくなります。
しかし仏教では、
「自因自果」
自分のまいた種は、自分が刈り取る、
と教えられています。
親鸞聖人は自分をどう見ておられたか
親鸞聖人は、自分のことを、
しからば、善人にもあらず、賢人にもあらず、精進の心もなし。懈怠の心のみにして、内は空しく、いつわり、へつらう心のみ常にして、まことなる心、なき身と知るべし
と見つめておられました。
つまり、
・自分は善人ではない
・嘘もつく
・ごまかしもする
・見栄もはる
そんな煩悩まみれの人間だ、
と深く知らされたのです。
そんな私を救う阿弥陀仏の本願
親鸞聖人は、生涯、
「阿弥陀仏の本願」
を説かれました。
本願とは、
「すべての人間をありのまま必ず救う」
という阿弥陀仏のお約束です。
『歎異抄』には、
罪悪深重煩悩熾盛の衆生を助けんがための願にてまします
とあります。
これは、
「罪が重く、煩悩が燃え盛っている私たちを必ず救うための本願」
という意味です。
つまり、
・ずるい心がある
・妬みがある
・怒りがある
・欲深い
そんな私たちを見捨てないのが阿弥陀仏なのです。
阿弥陀仏の本願について書かれた『歎異抄』について

まとめ|ずるい人はなぜ苦しむのか
仏教では、
「惑→業→苦」
これを「惑業苦」と教えられます。
ずるい人は、
・煩悩に振り回され
・悪業を造り
・苦しみを受ける
のです。
たとえ今うまくいっているように見えても、
「悪因悪果」
から逃れることはできません。
そして親鸞聖人は、
そんな煩悩深い私たちこそ、阿弥陀仏は救うと教えられました。
感想
悪い行いをしてしまったらどれだけ隠そうとしても、必ず結果がくると肝に命じておかなければならないと思いました。惑業苦から抜け出すためには悪業を造る前の煩悩を抑えるか、悪報がきてからまた煩悩を造らないように抑えなければならないと学びました。
芸能人やスポーツ選手の不倫報道はよくあるが、今のご時世不倫は絶対にバレるとわかっていてもやる人が後を絶たない。不倫報道を見るたびに、悪いことは必ずバレるものだなと痛感します。悪因悪果を知らない人は多いです。仏教の教えをもっと学んでほしいと思いました。
仏教では惑業苦で苦しんでいるのは、すべての人だと教えられます。罪が重くて悪が深く、煩悩が盛んに燃えさかっているのは私たちすべてだという。そんな者を救うのが阿弥陀仏の本願だと教えられます。自分が罪が重く悪が深いと理解するためには、仏教を学ばなければわからない。仏教を知らなければ自分は善人だと思いがちです。まさに僕自身もそうでした。
仏教を学びつづけることで、なぜ阿弥陀仏の本願がたてられたのかが少しづつ分かってきました。
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