「信じていた友人に裏切られた…」仏教が教える“裏切られない幸せ”とは

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「仲間は裏切れない」と信じた50代男性の苦しみ

ある50代の男性がいました。

その人は、

・「友達が大事」

・「仲間は裏切れない」

・「困っている友達は助けるべき」

という信念を持って生きていました。

ところが、ある日、友人が借金で困っていると相談してきます。

「保証人になってほしい」

長年の友情を信じた男性は、連帯保証人になりました。

しかし、その友人は借金を残したまま姿を消してしまったのです。

その結果、

・全財産を失う

・家や土地を手放す

・会社も倒産する

という悲惨な結果になりました。

さらに苦しんだのは家族でした。

奥さんは、

「夫に裏切られた」

「信じていたのに、まさかこの年で…」

と深く傷つき、離婚まで考えたといいます。

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人は「信じていたもの」に裏切られると苦しむ

もちろん、裏切った友人が悪いのは間違いありません。

しかし仏教では、

「なぜ自分は、その人を絶対的に信じてしまったのか」

ということも深く見つめます。

私たちは、

・この人なら大丈夫

・この会社なら安心

・この健康は続く

・この財産が自分を守ってくれる

と「絶対に裏切らないもの」のように信じてしまいます。

しかし現実には、

・人間関係は壊れる

・健康は失われる

・お金は消える

・地位や名声も変わる

だから仏教では、

裏切られるものを頼りにすると苦しむ

と教えられています。

仏教で説かれる「難度海(なんどかい)」とは

仏教では人生を

「難度海(なんどかい)」

と例えられます。

これは、

「難度とは渡るのが難しい、泳ぐに泳げない海」

という意味です。

生きることは苦しみの海を渡るようなもの

人は生れた瞬間から

・不安

・悩み

・老い

・病気

・別れ

・死

とうい苦しみの海に投げ出されます。

波が苦しいので、人は海に浮かぶ丸太や板切れにしがみつこうとします。

その丸太とは、

・友達

・夫婦

・お金

・健康

・地位

・名声

です。

しがみつけば一時的には安心できます。

しかし波が来ると、ひっくり返ってしまう。

つまり、

「信じていたものに裏切られる」

のです。

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「しがみついては裏切られる」の繰り返し

人生を振り返ると、

・人間関係に傷つき

・健康を失い

・財産を失い

・愛する人と別れ

苦しみ続けています。

それでもまた別のものにしがみつく。

しかし、それもまた失う。

仏教では、この姿を

「生死の苦海」

と教えられます。

さらに恐ろしいのは、

最後には自分の命にも裏切られる

ということです。

どれだけ健康でも、

どれだけ成功しても、

最後は必ず死を迎えます。

つまり、この世のものに「絶対」はありません。

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親鸞聖人が教えられた「難度海を度する大船」

しかし親鸞聖人は、

「人生は苦しむためだけにあるのではない」

と教えられました。

親鸞聖人は、

「難度を度する大船」

という言葉を残されています。

これは、

難度海を明るく楽しく渡す大きな船がある

という意味です。

その船というのは、

南無阿弥陀仏の船

だと教えられています。

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「裏切られない幸せ」とは何か

親鸞聖人は、

生死の苦海ほとりなし 久しく沈める我らをば 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せて必ず渡しける

と教えられました。

これは、

「苦しみの海に沈み続けている私たちを、阿弥陀仏の大きな願いだけが、必ず救い渡してくれる」

という意味です。

仏教では、

摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益

という言葉があります。

これは、

絶対に裏切られることのない幸せ

という意味です。

人にも、

財産にも、

健康にも、

絶対はありません。

しかし仏教では、裏切られることのない世界がある

と教えられるのです。

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「人身受け難し今すでに受く」の意味

仏教には、

人身受け難し今すでに受く

という言葉があります。

これは、

生まれ難い人間に生れてきたのは、この身になるためだったのかとはっきり知らされた

という意味です。

では、なぜ人間に生れてきたのか。

仏教では、

難度海を渡す大船に乗せていただくため

だと教えられています。

仏法は「聴聞」に極まる

では、その大船にどうすれば乗せていただけるか。

仏教は聴聞に極まる

と教えられます。

聴聞とは、仏教の教えを繰り返し聞かせていただくことです。

感想

私たちが求めている幸せとは、必ず裏切るものであることをまず知らなければならない。裏切るものを信じてしまった自分に問題がある。それでは絶対に裏切らない幸せはあるのか? その答えが仏教には教えられているという。

難度海で泳いでいるのが私たちの人生。苦しみの波がひっきりなしにやってくる。海に浮いている丸太棒や板切れにすがることで一時的に休むことができる。これが一般的な幸せをあらわしている。丸太棒や板切れは大きな波がやってきたらひっくり返って、塩水を飲んで苦しむ。幸せは続かないのです。

自分の人生を振り返ってみても、幸せなときがあっても続かないし幸せのあとには苦しいことがやってくる。山あり谷ありが人生だといわれる。世の中の大半はそれが当たり前だと思っています。

仏教では難度海を渡す大きな船があるといわれます。その船に乗れば丸太棒や板切れのようにひっくり返ることはなくなる。もしそんなことができるなら、人生がどれだけ生きやすくなるだろうか。それが摂取不捨の利益といわれる。

仏教って学べば学ぶほど幸せについて説かれている教えだとわかりました。人生における究極的な幸せとは?が教えられていてとても面白いと思います。。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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