浄土真宗独特の言葉「弥陀をたのめ」とは

要約

■ 蓮如上人 御文章 

・ 弥陀  たのみ・たのむ・たのめ

・ たのむ一念の所肝要なり

→  肝要とは要のなかの要

・ 弥陀をたのむ、とは阿弥陀仏にお願いしますという意味ではない

・ 浄土真宗ではたのむとは頼むではなく、憑むという字を使う

→  憑むとは力にする、たよりにするという意味

まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず  (御文章)

→  昔からたよりに(あて力に)してきた妻や子供や財産も宝もいよいよ死ぬとなったとき何一つ持っていけませんよ

・ 妻や子供にお願いしてきたという意味ではない

■ たのむ一念

・ 南無阿弥陀仏の船に乗せてい頂いてこの船があて力になったときのことをたのむ一念という また信心決定という

・ いつ南無阿弥陀仏の船に乗せて頂けるのかというと、一念の瞬間で乗せて頂ける

本願他力をたのみて自力をはなれたる、これを「唯信」という  (親鸞聖人)

→  本願他力の船に乗せてい頂いたとき自力(計らいの心)がなくなる 信心決定という

■ 本願の船に乗せて頂ければ、死んだら浄土へ往ける この世も未来も幸せ者になれる

感想

弥陀をたのめとは弥陀にお願するという意味ではなく、あて力にするという意味が正しい。浄土真宗の教えに明るい人じゃなければ、間違えて解釈してしまうところだ。正しい言葉の意味を知らなければ、教えも間違て理解してしまう。

弥陀をあて力にするとは南無阿弥陀仏の船に乗せてい頂くこと、つまり信心決定になったということ。南無阿弥陀仏の船に乗せてい頂ければ、死んだら浄土へ往くことができる。この世も未来も幸せに者になるこができるという。

未来が明るいと今の気持ちは明るくなる。逆に未来が暗いと今の自分は暗い気持ちになる。浄土へ往くことが決まれば未来は明るいから、今の自分も明るい気持ちになる。

浄土へ往くことが決まるまで聴聞を続けたい。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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