要約
人の評価で罪を造る
白雪姫 容姿が優れているかどうかで嫉妬心がわき、嫉妬のあまり殺害してしまう
→ 名誉欲 承認欲求
現代はSNS全盛の時代
→ いいねやコメントがくると嬉しくなる
→ 承認欲求が満たされる。
→ SNSに振り回されている
名誉欲、承認欲求によって罪を造る
人の評価とはあてになるか?
→ 身業 体で何をやっているか 他人に知られている行いと、他人に知られていない行い
→ 口業 口で何を言っているか 他人に知られている行いと、他人に知られていない行い
→ 意業 心で何を思っているか 他人に知られていない行い 人の本性は心にある
人が人を評価するとき、他人に知られている行いを見て判断しているだけ
小人閑居して不善をなす
→ 人が見ていないところでは浅ましいことをしてしまう
人の評価はあてにならない
今日ほめて 明日悪く言う 人の口 泣くも笑うも ウソの世の中 (一休)
死んでいくときはひとりぼっち
→ 名誉はすべて置いていかなければならない
万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなし (親鸞聖人)
人からの評価とはそらごとたわごとだからそれほど気にしなくてもいい
感想
承認欲求が強いと、罪を造ってしまうことがわかった。人の評価とは他人に知られている行いを見たときだけで、あてにならないという。重要なのは他人に知られていないときの行いだという。
中国の言葉に「陰徳あらば陽報あり」というのがあるが、人の見えないところで善いことをすると幸せがやってくるという。僕はこの言葉が好きで、人が見ていないところこそ善い行いをしなければと思っている。しかし、人が見ていないところで善い行いをすることは難しく、誰も見ていないから別にいいかと思いがちで、自分の心に負けてしまうことが多い。それでも頑張って自分の心に負けず善い行いをできるときもある。そんなときは誰かから褒めれるわけではないが、心がすがすがしくなる。
仏教では人の評価はあてにならないと教えられる。それは人の評価などいらないということではなく、その人の都合によってころころ変わるからだということだ。自分にとって都合がよければ評価は上がるし、都合がわるければ評価はさがる。だからあてにならない、それほど気にしなくてもいいと説かれる。
仏教には人の評価のことについても教えられている。これを知るだけでずいぶん心が軽くなると思う。
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