人の評価は当てにならない|承認欲求に振り回されない仏教の教え

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「人から嫌われたくない」

「もっと認められたい」

「SNSで『いいね』が少ないと落ち込んでしまう」

現代は、人の評価が気になる時代です。

しかし仏教では、人の評価に振り回される心は苦しみの原因になると教えられています。

目次

人の評価によって罪を造る

人は評価されたいという気持ちを持っています。

仏教では、このような心を名誉欲や承認欲求として考えることができます。

評価されたい気持ちが強くなりすぎると、人をねたみ、傷つけることがあります。

その象徴的な物語が『白雪姫』です。

王妃は、自分より白雪姫のほうが美しいと知ると、嫉妬心に支配され、命まで奪おうとしました。

人を殺した原因は、美しさそのものではありません。

「自分の評価が下がることに耐えられなかった心」です。

評価への執着は、ときに大きな罪を生み出します。

SNSは承認欲求を刺激する

現代では、SNSが私たちの生活の一部になっています。

投稿に「いいね」が付くと嬉しくなり、コメントが増えると認められたように感じます。

反対に、反応が少ないと落ち込み、不安になる人も少なくありません。

もちろん、SNSそのものが悪いわけではありません。

問題なのは、自分の価値を他人の評価だけで決めてしまうことです。

いつの間にか、私たちは「評価されるために生きる」ようになり、評価に振り回されてしまいます。

人は本当の自分を見て評価しているわけではない

仏教では、人間の行いを三業(さんごう)に分けて考えます。

身業・・・体で行うこと

口業・・・口で話すこと

意業・・・心で思うこと

身業と口業は人から見える部分があります。

しかし、意業である「心」は誰にも見えません。

人が他人を評価するときに見ているのは、あくまでも外から見える行動や言葉だけです。

心の中で何を考えているか、本当の姿まで分かりません。

つまり、人の評価とは、自分の一部分だけを見て下された判断にすぎないのです。

三業についてはこちらも

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「小人閑居して不善をなす」

中国の古典には、

小人閑居して不善をなす

という言葉があります。

人は誰も見ていないところでは、浅ましいことや恥ずかしいことをしてしまうことがあります。

どれほど立派に見える人でも、人に見えないところまで含めて評価することは誰にもできません。

だから、人の評価は決して完全ではないのです。

一休さんが教える「人の口」の恐ろしさ

一休宗純は、次のような歌を残しています。

今日ほめて 明日悪く言う 人の口 泣くも笑うも ウソの世の中

昨日まで褒めてくれた人が、今日は悪口を言う。

人の評価は、その時々の感情や立場によって簡単に変わってしまいます。

そんな移り変わる評価に、自分の人生を委ねる必要はありません。

死ぬときに持っていけないもの

どれほど名誉を得ても、どれほど多くの人に評価されても、人生の終わりにはすべて置いていかなければなりません。

肩書きも、地位も、名声も、人からの賞賛も持っていくことはできません。

親鸞聖人が教える「そらごと・たわごと」

親鸞聖人は、

万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなし

と教えられました。

「そらごと」とは、実体のないこと。

「たわごと」とは、あてにならないことです。

人からの評価も、その一つです。

もちろん、人からの意見に耳を傾けることは大切です。

しかし、それを人生のすべてにしてしまえば、苦しみは尽きません。

まとめ

人は、自分の見える部分だけを見て評価します。

しかし、本当の自分は、誰にも見えない心の中にあります。

だからこそ、人の評価だけで自分の価値を決める必要はありません。

SNSの「いいね」の数も、肩書きも、名誉も、人生の終わりには残りません。

仏教は、人からどう見られるかではなく、

「自分はどのような心で生きているか」

を大切にする教えです。

人の評価に一喜一憂する人生よりも、自分の心を見つめ、善い行いを積み重ねる人生こそ、後悔の少ない人生へとつながっていくのです。

感想

承認欲求が強いと、罪を造ってしまうことがわかりました。人の評価とは他人に知られている行いを見たときだけで、あてにならないという。重要なのは他人に知られていないときの行いだと思いました。

仏教では人の評価はあてにならないと教えられます。それは人の評価などいらないということではなく、その人の都合によってころころ変わるからです。自分にとって都合がよければ評価は上がるし、都合がわるければ評価はさがる。だからあてにならないと教えられることがわかりました。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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