要約
■ 生の始まりと生の終わりは闇の中にある
☆ 生まれ生まれ生まれ生まれて生の始まりに暗く、死に死に死に死んで、死の終わりに冥し (空海)
・ 受精の瞬間に無から私という有ができたか?
→ 受精には二日間かかる
・ どの段階をもって私は生まれたといえるのか
→ 受精してから2週間くらいは何人の子供ができるのかわからない
・ どこをもって私が生れたといえるか
→ キリスト教では受精した瞬間に魂が吹き込まれたといわれている
・ 受精して14日以内なら人間じゃないという科学者もいる
・ 脳の形成には15日くらいかかるので、15日経ったら私の始まりだという人もいる
・ 霊魂とか生命の存在の定義ははっきりされていない
■ 私というものが死ぬと消えるなら、どこをもって消えるといえるのか
・ 心臓が止まったときに死んだといわれるのは、心臓が止まると脳が死ぬから私は死んだといわれる
→ 脳が死んでも心臓は動いている状態がある それを死とみなすのか
→ 脳死 = 死ではない
・ 無から有になる瞬間もわからなければ、有から無になる瞬間もわからない
→ 空海のいうとおり生の始まりも、生の終わりも闇のなかにある
■ 無から有になるというのは論理的ではない
・ 論理的とは結果には必ず原因があるということ
・ 何も無いところから突然有が生じることはない また有から無になることも論理的ではない
■ 万物は形を変えながら続いている
・ 常見 固定不変の私という存在がずっと続くという思想
・ 断見 死んだら無になって私という存在はなくなってしまう思想
→ 仏教では常見も断見も間違っていると説かれている
・ 不一不異と説かれる
→ 一つにあらず異なってもいない
三世
・ 過去世 → 現在世 生 → 死 → 未来世
→ 過去世と現在世と未来世の私は心身が違う 不一不異
・ 心身は異なっていても連なっているのは業力(カルマ)
感想
生の始まりも生の終わりも、いつなのかはっきりとわかっていない。それは科学的にみてもまだ解明されていないことだ。普段あまり考えることはないが、考え始めると答えはでない。
無から有になるというのは論理的ではないという。それは原因なしに結果は現れないからで、結果には必ず原因があるからだ。
仏教では固定不変の私というものがずっと続く思想ではなく、死んだら無になって私という存在はなくなってしまう思想でもないと教えられる。心身は異なっていても連なっているのは業力だという。
仏教の教えはとても論理的であることに驚く。結果に対する明確な原因が教えられていてわかりやすい。聞けば聞くほど納得のいく教えだとわかる。
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