要約
■ 不幸な目にあうのは「信心が足りないから」なのか?
→ 仏教ではこんなことは言わない
仏教の教えでは信心が足りないから不幸になる、とか信心したから御利益がある、とは説かれていない
・ 昔から日本には祈祷師がいた
→ 雨ごいの祈祷師や病気治しの祈祷師が多かった
・ 疫病は神の仕業、悪霊の仕業だと思われていた
学問が発達するにつれ天地自然災害は神の仕業だという人は少なくなった 病気も医学の発達により神の仕業という人はいなくなった
しかし、運命に関しては未だに祈祷師や占い師が活躍している
・ 運がいい運が悪い、それはなぜか 運命とは何によって起きたことなのか
→ 神や悪霊の仕業か
■ 人間の苦しみの大きな3つ
貧 貧乏
病 病気
争 人間関係
→ この3つの苦しみをなくすために、祈祷や占いに頼ってしまうことがある また祈祷や占いによって良くなったという体験談にダマされることがある
■ なぜ、迷信に惑わされるか
→ 苦悩と不安があるからか
知識が豊富なら迷信にひっかからないわけではない
→ 苦しくて将来に不安がありこれから先の運命がわからないから、迷信を信じてしまう
→ 溺れる者は藁をもすがる
■ 仏教では運命の因果関係を教えられている
感想
将来がどうなるかわからなくて不安になることは、誰にでもあるだろう。だから祈祷や占いに頼ってしまうことがある。不幸が続いたり、人生うまくいかないとき、天地鬼神にすがりたくなる。
芸能人で人気が低迷しているとき、占いによって改名し人気が復活したということを聞いたことがある。これは改名したから人気が復活したのではなく、素直にアドバイスを実行するという姿勢がよかったのだと思う。もう後がないと思い、仕事に対して真面目に一生懸命やっているから評価が上がったのではないか。改名自体に力はないと思う。その人の行いに力があったのだ。
仏教では運命の因果関係が教えられている。善因善果、悪因悪果、自因自果、これを因果の道理という。自分の行いを変えることで運命も変えることができる。仏教を学べば、祈祷や占いに頼る必要はなくなる。
自分の運命は自分で切り開くしかない。
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