名誉欲に振り回される私たち——親鸞聖人が比叡山を下りた理由

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「人からどう見られるか」が気になって苦しむ人は多いです。

・学歴で比べる

・収入で比べる

・出世で競う

・容姿や才能を比べる

・SNSのフォロワー数を気にする

現代社会では、まるで「他人からの評価」を集める競争ののようになっています。

しかし仏教では、そのような生き方は「名誉欲」に振り回されている姿だと教えられます。

実は、浄土真宗の開祖である親鸞聖人も、自分自身の名誉欲に深く悩まれていました。

目次

親鸞聖人も名誉欲に苦しまれていた

親鸞聖人は『教行信証』のあとがきで、次のように記されています。

悲しき哉や、愚禿鸞、名利の大山に迷惑す。恥づべし、傷むべし。

これは、

「悲しいことに、この愚かな親鸞は、名誉や利益を求める大きな山に迷い苦しんでいる。恥ずかしく、情けないことである」

という意味です。

ここで注目すべきなのは、親鸞聖人ほどの方でも、名誉欲に悩まれていたということです。

私たちは、

・認められたい

・褒められたい

・すごいと思われたい

という気持ちから逃れることがなかなかできません。

仏教では、この心を「名利(みょうり)」といいます。

世の中は「他人鏡」に振り回されている

仏教では、人の評価は「他人鏡」であると教えられます。

つまり、自分を他人という鏡に映して、

「自分は価値がある」

「自分は優れている」

と確認しようとしているのです。

しかし、この他人鏡は非常に不安定です。

今日まで褒めていたい人を、世間は明日には手のひらを返したように悪く言います。

SNSでも、

・炎上

・誹謗中傷

・評価の急変

は珍しくありません。

他人の評価は、風向きのように簡単に変わります。

にもかかわらず、多くの人は、

「どう映るか」

「どう思われるか」

ばかりを気にして生きています。

親鸞聖人が比叡山を下りた理由

親鸞聖人は9歳で出家し、20年間、比叡山で厳しい修業をなされました。

当時の比叡山は、日本の仏教の中心地です。

学問も修行も超一流の世界でした。

親鸞聖人も努力を重ね、頭角を現していかれます。

しかし29歳のとき、比叡山を下りられました。

そのときの心境を表した言葉があります。

何ぞ浮生の交衆を貪って 徒に仮名の修学に疲れん

これは、

「人の目に振り回されている浮草のような根っこのない、付和雷同の人々との交わりをいつまでも貪っているわけにはいかない 仮そめの名誉のための修業や学問に振り回されている場合じゃない」

という意味です。

親鸞聖人は、

「人からどう見られるか」

を目的にした修行に限界を感じられたのです。

なぜ名誉欲では幸せになれないのか

名誉欲は、一時的な満足は与えてくれます。

しかし、終わりがありません。

・もっと認められたい

・もっと上にいきたい

・もっと褒められたい

と際限なく求め続けます。

そして比較する世界には、必ず苦しみがあります。

仏教では、そこに根本的な不安があると教えられています。

なぜなら、人は必ず老い、病になり、死ぬからです。

どれほど名誉を得ても、死から逃れることはできません。

死を見つめることが本当の幸せの第一歩

仏教では、

「死を見つめること」

が本当の幸福への第一歩であると教えられています。

親鸞聖人も大切にされた言葉に、

無常を観ずるは菩提心の一なり

があります。

「無常を見つめることが、仏教を求める心の始まりである」

という意味です。

私たちは普段、

・仕事

・人間関係

・評価

・お金

に追われています。

しかし、

「人は必ず死ぬ」

という現実を真面目に見つめたときに、

「何のために生きるのか」」

という根本問題が見えてきます。

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まとめ

私たちは、他人の評価に振り回されやすい存在です。

しかし、その苦しみは現代人だけではありません。

親鸞聖人もまた、名誉欲に悩み苦しまれていました。

だからこそ、

「人からどう見られるのか」

ではなく、

「人生の本当の目的は何か」

を見つめることの大切さを教えられているのです。

感想

他人からの評価に一喜一憂するのはすべての人がそうであり、親鸞聖人も同じだった。人はどれだけ名誉欲を満たすことができるのかに振り回されています。

名誉を求めて頑張ることは良いことだと思いますが、欲は際限がなく、満たされることはない。欲を邪魔されると怒りが湧いてきて人を傷つけてしまいます。また自分よりも名誉がある人に対して、妬み嫉み憎しみの心がでてきます。

仏教では欲は三毒の煩悩の一つに挙げられます。欲のせいで煩い悩むことが人生では多い。人は煩悩をなくすことはできない。だから死ぬまで苦しみ続けなければならない。しかし、仏教には煩悩があるままで、本当の幸せになることができると教えられています。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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