要約
■ 人生は選択の連続
・ 自分の人生は他人のせいにしないと覚悟を決めることはなかなか難しい。私たちの本性はすぐに他人のせいにしてしまう。特に苦しいことがあると、アイツのせいだコイツのせいだと思ってしまう。
・ これを仏教では他因自果という。他因とは自分以外の誰かが原因で、今自分はこんな目にあってしまった。これを愚痴の心ともいう。
・ 愚痴の心というのは、恨み、ねたみ、憎しみの心。
・ 仏教では1人の人が108の煩悩を持っていると教えられる。中でも私たちを苦しめる大きなものが3つあるがそれを三毒の煩悩という。その中の一つが愚痴である。
・ 自分に悪い結果がくると、アイツのせいだコイツのせいだとって他人を恨んだり憎んだりする心のことを愚痴という。
・ 実際に他因自果だと思われるケース……自分の夫がDV男だった。それで自分(妻)は大変な目にあっている。妻は育児も家事もしっかりやっているのに、夫になじられたり暴力を振るわれる。
・ 仏教ではDV男というのは「縁」であると教えられる。因縁果の道理といって因と縁がそろったときに結果が起きる。「因」とは私の行い。私の行いが原因で私の運命が起きる。自分に起きた一切の結果の原因は自分にある。
・ DV男は悪い「縁」。縁が悪いと悪い運命が起きる。しかし、縁だけでは結果は起きない。悪い運命になるのは自分がDV男と結婚したから。
◇ 人生とは選択の連続と言われるが、自分が何を選ぶか、誰を夫と選ぶか、これも自分の選択である。それによって運命はだいぶ変わる。
・ DV男を選んだのも自分の行いなら、今もその人と一緒に生活しているのも自分が決めたことで自分の行いである。
・ 自分の人生を他人のせいにはしない。自分の人生は自分で決めるんだと覚悟を決めたとき、DV男と別れるという選択肢もある。でも別れたら経済的に一人じゃ大変かもしれないが、このままずっと恨みと憎しみの毎日をおくるのがいいのか。経済的には大変だが、恨みと憎しみから解放されるほうがいいのか。どちらを選ぶのも自分の行い。

■ 今やるべきことに集中する
・ カエサル、諸葛孔明、竹中半兵衛。それら今に名高い名将、軍師たちは敵を前にして「あ~あ、もっと兵隊の数があればな~」とか「ちくしょ~、城の堀があと二重三重深ければな~」と我が身の不遇を嘆いて周りに八つ当たりはしなかった。どうしたら、勝利に持っていけるか、この一点に集中していた人達だった。
・ 戦争するときに、すべて理想的な状態というものはない。武器も弾薬も兵力もあるいは兵站も何か問題はる。それでもどうしたら勝てるのかを考えたのが、名将軍師と言われる人。今やるべきことに集中した人達。
・ 問題があっても恨んだり愚痴ったりしている場合ではない。今、戦って勝たなければならないから。
◇ 私たちも同じことがいえる。一人ひとり自分にもてるものは違う。どんな親の元に生まれたか。どんな国に生まれたか。どんな時代に生まれたか。どんな才能で生まれたか。どんな容姿で生まれたか。みんな違う。すべて理想的にそろった人はいない。自分の持っているもので幸せを求めていく。
・ 人生では計算外のことはいくらでも起こる。不測の事態は突然やってくるからそうなったときにどうするか。仏教では常に「今、何をするべきか」に集中する。未来どうなるかは今からの自分の行いによって決まると教えられる。
・ 未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ (釈迦)
◇ 未来を決めるのは今からの行いにかかっている。今からの行いに集中しなさいと教えられるのが仏教。

感想
人生は選択の連続だが、選択の結果は自分が決めたんだという覚悟が必要だ。うまくいかなかったとしてもアイツのせいだコイツのせいだと他人のせいにしていては幸せになれない。恨み、憎しみを持って生活したくはない。たとえうまくいかなくても、自分で選んだ結果だと思えれば納得がいく。
仏教では今からの行いに目を向ける。たとえ今悪い運命でも、今からの行いを変えれば未来は変えることができる。人生は自分の行い次第でいくらでも変えることができるとわかれば、とてもワクワクする。
仏教の教えはとても現実主義といえる。遠い未来の事ではなく、現在ただ今を問題にしている教えだ。
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