私たちは日々の生活の中で、仕事や家庭、人間関係に追われています。
しかし、どんな人生にも必ず訪れるものがあります。
それが「死」です。
では、人は死んだらどうなるのでしょうか。
それとも死後の世界があるのでしょうか。
この問いを、仏教では「後生の一大事(ごしょうのいちだいじ)」と教えています。
仏教で教えられる人生の目的とは

アスリートも会社員もいつか終わる
アスリートは現役時代、栄光を目指して努力します。
しかし、どれほど活躍しても引退の日は必ず訪れます。
会社員も同じです。
長年勤めあげても、やがて退職の日がやってきます。
学生生活も終わります。
子育てにも終りがあります。
人生のあらゆる出来事には終わりがあります。
では、
「生きること」は死んだら終わりなのでしょうか
ここに人生最大の問題があります。
死んだら終わりなら何を願うか
もし死んだらすべて終りなら、
・家族に囲まれて死にたい
・愛する人に感謝されながら死にたい
・「あなたと結婚して幸せだった」と言われながら死にたい
と思う人は多いでしょう。
人生の最後を幸せな気持ちで迎えたいと願うのは自然なことです。
しかし、もし死んだ先があるとしたらどうでしょうか。
どれほど家族に囲まれていても、死の瞬間には誰も一緒についていくことはできません。
その時、人は独りで未知の世界へ向かうことになります。
蓮如上人が教えられた死の現実
蓮如上人は『御文章』で次のように教えられています。
まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ、三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ
意訳すると、
「死ぬときには頼りにしていた妻や子供も財産も何一つ持っていくことはできない。死後の世界へは、ただ独りで向かわなければならない」
ということです。
生きている間は家族や友人に支えられています。
しかし死という場面だけは、誰も代わってくれません。
死後の世界はあるのか
現代では、
「死んだら無になる」
という考え方があります。
一方で、
「死後の世界はある」
と考える人もいます。
実際のところ、科学は死後の世界があるともないとも証明していません。
つまり、
死後の世界がないと断言することもできなければ、あると証明することもできない
のが現状です。
なぜ人は冥福を祈るのか
身近な人が亡くなったとき、
「ご冥福をお祈りします」
という言葉をよく耳にします。
冥福とは、
冥土での幸福
を意味します。
そして冥土とは、死後の世界のことです。
もし本当に死んだら完全な無になると誰もが確信しているなら、「冥福」という言葉は生れなかったでしょう。
世界のさまざまな民族や宗教においえても、亡くなった人の幸福を願う習慣があります。
それは人間の心の奥底に、
「死んだら終わりではないのではないか」
という問いがあるからではないでしょうか。
死後を否定する人も冥福を祈る
興味深いことに、唯物論を掲げた国家でも、亡くなった人への追悼や慰霊は行われてきました。
思想としては、
「死後の世界は存在しない」
と教ながらも、
実際には慰霊祭や追悼式典が行われています。
これは理屈だけでは割り切れない人間の心を示しているともいえます。
知識では「死後はない」と考えていても、
大切な人を失ったとき、
「どうか安らかであってほしい」
と願わずにはいられないのです。
仏教が説く因果応報
仏教では、
因果応報(いんがおうほう)
という法則を説きます。
過去の原因が現在の結果を生み、
現在の原因が未来の結果を生みます。
図にすると、
・過去の因→現在の果
・現在の因→未来の果
となります。
ここでいう「因」とは業因、つまり行いです。
善い行いには善い結果が、
悪い行いには悪い結果が、
自分のやった行ないが自分に返ってくる、というのが仏教の因果の道理です。
仏教の根幹の教え|因果の道理とは

因果応報からみた死後
もし因果応報が真実なら、
死んだ瞬間にすべてが消えてなくなることにはなりません。
なぜなら、現在の行いが未来の結果を生み続けるからです。
仏教では、
人生はこの一生だけで完結するものではなく、
過去・現在・未来へと続く因果の流れの中にあると教えられています。
そのため、
「死んだらチャラになる」
とは考えません。
死後にも因果の結果は続いていくと説かれるのです。
後生の一大事とは何か
親鸞聖人は、
人生で一番大切な問題を
「後生の一大事」
と教えられました。
後生とは死後のことです。
私たちは、
・仕事の悩み
・お金の悩み
・健康の悩み
・人間関係の悩み
には真剣になります。
しかし、
「死んだらどうなるのか」
という問題については、後回しにしがちです。
仏教は、この問題こそ最も重要であると教えています。
人生で最も大切なこととは

まとめ
「死んだら終わりなのか」
これは人類が古くから問い続けてきたテーマです。
科学もまだ明確な答えを出していません。
しかし人は、大切な人を失ったとき、
自然に冥福を祈ります。
仏教では因果応報の立場から、
死んだらすべてが消えるのではなく、因果の流れは未来へと続くと教えます。
だからこそ、
「死んだらどこへ行くのか」
という後生の一大事は、人生最大の問題なのです。
生きている今だからこそ、この問題に真剣に向き合うことが仏教の出発点といえるでしょう。
感想
死んだ後はあるのかないのかハッキリとした答えはないといいます。一度死んだ人が生き返ることはないから、死んだ先がどうなっているか証明されたこともありません。
死んだら閻魔大王によって天国に行くのか地獄に行くのか裁きをうける、というのはマンガの一場面で見たことがあります。あるいは、死んで魂が補完されるというものもありました。僕自身、知っているのはマンガや映画で見たことだけで普段死んだ後があるのかないのかを考えたことはありませんでした。死んだ後のことよりも、どうやって生きていくかばかり考えていました。しかし、仏教を学ぶなかで死は必ずやってくるものだと意識するようになりました。仏教には死んだ後どこへ行くのかハッキリとさせることが教えられています。
仏教は原因と結果の関係を徹底的に教えられています。生と死にも原因と結果がある。生れる(現在世)のは結果であり生まれる前(過去世)に原因がある。生きている間(現在世)は原因で死んだ後(未来世)に結果がある。これを知れば死んだ後というのもあることがわかります。死んだ後どこへ行くのかを解決することが仏教に教えられています。後生の一大事が解決するまで仏教を学び続けていきたいです。
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