要約
アスリート → 引退したら終わり
会社員 → 退職したら終わり
生きる → 死んだら終わりか?
死んだら終わりだったら
→ 好きな人に囲まれて死にたい あなたがいたから幸せだったといい死んでいきたい
→ 人生の伴侶として選んでよかった幸せだったと死にたい
死んだ先があるとしたら
→ 独りぼっちでどこへ行くのかわからない
まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ、三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ (蓮如上人)
死んだら無だという人がいるが決まっているわけではない
→ 科学的にみても死んだ後の世界は、あるのかないのか議論されているが答えはでていない
身近な人が亡くなると冥福を祈らせてくださいという
→ 冥福とは冥土の幸福という意味
→ 冥土とは死んだ後の世界
民族、人種を超えて、どの時代の人も冥福を祈らずにはおれない 死んだ後はないという人はいるがそれでも冥福を祈りたくなる時がある
→ 唯物論の教育を受けた中国やソ連の権力者たちも人が死ぬと冥福を祈る 思想的には矛盾している
→ 知識では死んだ後はないといいながら慰霊祭に出席している
人間とは死んだ後があるとかないとかいっているが、本当のところはわからない
仏教では
過去 因 → 現在 果
現在 因 → 未来 果
過去の原因が現在の結果を生み出す 現在の原因が未来の結果を生み出す
因とは業因(行い)
→ 過去現在未来には行為と運命の関係が連なっている
因果応報からいえば、死んだらチャラではない
死んだらどこへ行くのか?
後生の一大事
感想
死んだ後はあるのかないのかハッキリとした答えはない。一度死んだ人が生き返ることはないから、死んだ先がどうなっているか報告されたこともない。
死んだら閻魔大王によって天国に行くのか地獄に行くのか裁きをうける、というのはマンガの一場面で見たことがある。あるいは、死んで魂が補完されるというものもあった。僕自身、知っているのはマンガや映画で見たことだけで普段死んだ後があるのかないのかを考えたことはなかった。死んだ後のことよりも、どうやって生きていくかばかり考えていた。しかし、仏教を学ぶなかで死は必ずやってくるものだとわかる。仏教には死んだ後どこへ行くのかハッキリとさせることが教えられている。そのことに衝撃を受けた。
仏教は原因と結果の関係を徹底的に教えられる。生と死にも原因と結果がある。生れる(現在世)のは結果であり生まれる前(過去世)に原因がある。生きている間(現在世)は原因で死んだ後(未来世)に結果がある。これを知れば死んだ後というのもあることがわかる。死んだ後どこへ行くのかを解決することが仏教に教えられているという。解決するまで仏教を学び続けたい。
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