要約
鎌倉仏教
栄西 禅宗 臨済宗 岡山県備中国の人
→ 13才のとき比叡山へ入る
→ 中国の宋という国に二回留学している
→ 禅宗を学び座禅を日本に広めた
→ お茶を宋の国から日本に広めた
道元 禅宗 曹洞宗 栄西から6,70年離れている 京都生まれ
→ 12才のとき比叡山へ入る
→ 宋に留学して禅宗を学び日本に広めた
→ 正法眼蔵という有名な本を書いた
法然 岡山県 美作国の人
→ 13才のとき比叡山へ入る
→ 修行においても学問においても比叡山のトップになるほど
→ 黒谷の報恩蔵というところで阿弥陀仏の本願に救い摂られる
→ 山を下りられて吉水というところに草庵を建ててそこで説法した
日蓮 千葉県 漁師の出身
→ 南無妙法蓮華経とう題目を唱えることを勧めた人
→ 立正安国論という本を書いて幕府に訴えた
→ 邪宗を信じているから天変地異が続く 念仏の教えが元凶だと本に書かれている
これら四人と親鸞聖人の違いは何か?
親鸞 肉食妻帯
→ 公然と結婚された 当時結婚するということは女犯の罪になった
→ 女犯の罪を犯した僧侶は堕落坊主、破戒僧、色坊主などと非難された
なぜ親鸞聖人は結婚を断行されたか?
結婚しても阿弥陀仏の本願によって救われることをあきらかにするためだった
阿弥陀仏の本願とは、すべての人をありのままの姿で救うというお約束
感想
鎌倉時代の開祖と親鸞聖人とは決定的な違いがあることがわかった。それは公然と結婚をされたことだ。結婚することで非難をあびることはわかっていただろうが、それでも阿弥陀仏の本願をあきらかにするために断行された。並大抵の覚悟ではできることではない。
現代では有名人が不祥事を起こすとネットで炎上してたちまち謝罪するか表舞台から姿を消すことになるが、果たして親鸞聖人ほど強い信念を持った人はいるだろうか。
歴史を変える人の思想とは、時代が追い付くまでに時間がかかるものだ。
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