肩書きを失ったとき生きる意味はどこにある?仏教が教える本当の自分

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「定年退職したら生きる意味がなくなった」

「会社を辞めたら自分には何も残らなかった」

「子育てが終わって空虚感を感じる」

このような悩みを抱えている人は少なくありません。

なぜ私たちは肩書きを失うと、生きる意味まで失ったように感じるのでしょうか。

実は、お釈迦様は2600年以上前に、その原因を明らかにされていました。

目次

一切は因縁生なり

お釈迦様は、

一切は因縁生なり

と教えられています。

これは、

「この世のすべてのものは因と縁によって生じる」

という意味です。

因と縁がそろったときに結果が現れることを「因縁和合」といいます。

例えば父親という存在もそうです。

・因 Aさん

・縁 子供の誕生

・果 父親

子供がいるから父親であり、父親がいるから子供でもあります。

父親という存在は、関係性の中で生じた役割なのです。

因縁和合についてはこちらも

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私たちは役割の中で生きている

人は誰でも様々な役割を持っています。

・父親

・母親

・夫

・妻

・社長

・部長

・課長

・先生

そして、その役割の中に生きる意味や価値を見出しています。

しかし、それらは永遠に続くものではありません。

離婚すれば夫ではなくなります。

子どもが亡くなれば父親としての役割は大きく変化します。

退職すれば部長でも課長でもなくなります。

役割は因縁によって生じたものであり、不変のものではないのです。

カースト制度から見る人間の価値

お釈迦様の時代のインドでは、バラモン教の影響のもの、厳しいカースト制度がありました。

・バラモン(僧侶)

・クシャトリア(貴族・武士)

・ヴァイシャ(商人・庶民)

・シュードラ(奴隷階級)

高い階級に生まれた人は、自分の存在価値を感じやすかったでしょう。

一方で、低い階級に生まれた人は、

「なぜ自分はこんな身分なのか」

と苦しむこともありました。

しかし、お釈迦様は人間の価値を身分や肩書きで判断されませんでした。

現代人も肩書きに縛られている

現代の日本にカースト制度はありません。

しかし、多くの人は会社での地位や役職に価値を求めています。

例えば、

・課長

・部長

・社長

などの肩書きです。

これも因縁和合によって生じた役割です。

・因 Aさん

・縁 〇〇会社

・果 課長・部長

会社を辞めれば、その肩書きは消えてしまいす。

すると、

「自分には何の価値もない」

と思いこんでしまう人もいます。

しかし、それは肩書きを自分自身だと思っていたからです。

肩書きをすべて失ったとき何が残るのか

仏教は、

「肩書きを持つことが悪い」

とは教えていません。

問題なのは、

肩書きこそが自分の価値だと思い込むこと

です。

父親、夫、会社員、部長という立場は、因縁によって一時的に与えられた役割です。

それらをすべて取り払ったとき、

「本当の私は何者なのか」

という問いが生まれます。

仏教にはまさにこの問題を教える宗教なのです。

人間そのものに価値がある

お釈迦様は、

人身受け難し、今已に受く

と教えられています。

人間に生まれることは極めて難しいことであり、私たちはその尊い人身をすでに受けている、という意味です。

これは、

「肩書きがあるから価値がある」

ということではありません。

部長だから価値があるのでもなく、

社長だから価値があるのでもなく、

有名人だから価値があるのでもありません。

何の肩書きもなくなったとしても、人間としての尊い価値は失われないのです。

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まとめ

私たちは父親や母親、会社員や部長など様々な役割の中で生きています。

しかし、それらはすべて因縁によって一時的に生じた肩書きです。

肩書きを失ったときに生きる意味まで失ってしまうのは、自分の価値を役割と同一視しているからです。

仏教は、

「肩書きを超えた本当の自分とは何か」

を教える教えです。

そして、お釈迦様は人間の価値を身分や地位によって判断されませんでした。

何の肩書きも持たなくても、人間として生まれたこと自体が尊い。

ここに仏教の説く普遍的な人間の価値があるのです。

感想

すべてのものは因縁揃ったときに生じるもの。私たちはすべてのものとの関係性の中で生じた役割の中で、生きる意味を見出しています。

関係性の中で生じた役割の一つにすがっていると、それがなくなった場合自分自身の存在理由がわからなくなってしまいます。それが学生時代に観た、TV版「新世紀エヴァンゲリオン」の第26話「世界の中心でアイを叫んだもの」の中に描かていて共感しました。その当時は僕自身が学校の部活を辞めてしまい、自分の存在理由がなくなってしまいました。部活ではレギュラーで中心的な存在だっただけに、辞めた後そう感じました。それからは自分に自信が持てず、対人関係がうまくいかずにずっと悩んでいました。しかし、社会人になってから働くことで関係性をつくることができ、自信を取り戻すことができました。

仏教ではすべての関係性を取り払っても自分に価値があることが教えられています。それが人身受け難し今已受くという言葉だといいます。生まれ難い人間に生れてよかったといえる身になれるならなりたいと思いました。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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