「みんながやっているから」
「多くの人がそう言っているから」
私たちは日常生活の中で、このような理由で判断してしまうことがあります。
しかし、本当に多数派の意見は正しいのでしょうか。
仏教では、「皆が行くから正しいとは限らない」と教えられています。
人はなぜ群れたがるのか
人間は本能的に群れを作る生き物です。
群れの中にいれば安心感があります。
反対に、一人だけ違う意見を持つことには不安が伴います。
だからこそ、
・みんなが買っている商品を買う
・みんなが支持している人を支持する
・みんなが批判している人を批判する
という行動を取りやすくなります。
しかし、それは必ずしも正しい判断とは限りません。
似たもの同士が集まる理由

多数決がいつも正しいとは限らない
例えば、自分の考えが正しくても、周囲の大多数が反対意見だったらどうでしょうか。
多くの人は、
「自分が間違っているのかもしれない」
と思ってしまいます。
しかし、人数の多さと正しさは別の問題です。
歴史を振り返れば、多数派の意見が誤っていた例は数多くあります。
大切なのは、
何人が言っているかではなく、何が真実なのかを見極めること
です。
ネット世論は本当に世論なのか
現代ではSNSや動画サイトによって、様々な意見が飛び交っています。
しかし、ネット上で目立つ意見が必ずしも世の中全体の意見とは限りません。
実際には、ごく一部の発信力の強い人たちの意見が大きく拡散され、多数派のように見えることがあります。
さらに、
・怒り
・不安
・恐怖
・批判
などの感情を刺激する情報ほど拡散されやすい傾向があります。
そのため、冷静で客観的な意見よりも、刺激的な意見の方が目立ちやすいのです。
エコーチェンバー現象とは
SNSには「エコ―チェンバー現象」と呼ばれる問題があります。
自分と似た考えを持つ人ばかりをフォローすると、
自分のタイムラインには自分の考えと同じ情報ばかりが流れてきます。
すると、
「みんなが自分と同じ考えだ」
と錯覚してしまいます。
しかし、実際には、異なる意見を持つ人もたくさん存在しています。
仏教でいう「偏った見方」に陥りやすい状態です。
人の行く裏に道あり花の山
相場の格言に、
人の行く 裏に道あり 花の山
という言葉があります。
みんなが行くところにはそんなに大したものはない。みんなが行く裏に大きなものが得られると言う意味。
成功している人には共通点があります。
それは、
「皆がそうしているから」ではなく、自分で考えて決断していること
です。
もちろん、人と違うことをするために違うことをするのではありません。
真実を求めて考えた結果として、多数派と違う道を選ぶことがあるのです。
人生の選択は自分の責任

仏教が教える「一盲衆盲」
『仏蔵経』には次のような言葉があります。
一盲衆盲を 引いて以て 火杭に堕つる
これは、
「一人の盲人が多くの盲人を導き、皆で火の穴に落ちていく」
という意味です。
皆が行くから正しいとはいえないということ。
人数が多いことは真実の証明にはなりません。
善知識に遇うことはなぜ難しいのか
仏教では正しい教えへ導く人を「善知識」といいます。
親鸞聖人は、
真の知識に遇うことは 難きが中になおかたし
と教えられています。
正しい仏教を説くことは難しく、
また聞く側が正しく理解することも簡単ではありません。
同じ言葉を聞いても、誤解する人がいるからです。
だからこそ善知識との出会いは非常に尊いものとされているのです。
まとめ
人は安心を求めて群れたがります。
しかし、
・多数派だから正しい
・ネットで話題だから正しい
・皆が支持しているから正しい
とは限りません。
仏教は、自分勝手になることを勧めているのではなく、
「真実を求めて自ら考えること」
の大切さを教えています。
感想
群れてしまうのは、その物事についてよく分かっていないときでもあります。また、群れていれば安心を得やすいということもあります。一人行動するのは勇気がいるし、確たる自信がないとできない。
大谷翔平選手がプロ野球で二刀流をやろうとしたとき、野球界のOBや大御所は猛反対し中には「野球をなめている」という人までいたといいます。それでも大谷選手は二刀流を貫き、現在めざましい活躍をしています。その大谷選手の好きな言葉に「先入観は可能を不可能にする」というものがあります。周りの人ができるわけないといい、それで自分はできないと決めつけてしまったら、できるものもできなくなるということです。いつも群れて行動していたらできないこと思います。大谷選手自身の確固たる信念が、誰も進んだことのない道を切り開いていきました。
仏教では善知識から教えを聞かなければならないと教えられます。しかし善知識とは圧倒的に少なく世の中の大半は悪知識だといわれます。その中で、善知識を見分けなければならない。今までの自分の経験や知識をもとに善知識の教えと悪知識の教えを見極める必要があると思いました。
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