要約
たとい法然聖人にすかされまいらせて念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候 (歎異抄)
親鸞聖人のお師匠が法然上人
普通、その人を信じるか信じないかはダマす人かそうでないかで決める
親鸞聖人は法然上人にだったらダマされたって後悔しないといいきった
→ 後生の一大事、死んだら地獄に堕ちることを人生かけて解決したいと思っていた
→ 阿弥陀仏の本願を伝えてくだされたのが法然上人
阿弥陀仏の本願とは
→ どんな極悪人も平生の一念で必ず絶対の幸福に救い摂る
親鸞聖人は最初、阿弥陀仏の本願を疑わられた
→ 阿弥陀仏の本願を疑う心 = 疑情
阿弥陀仏の本願に救われたこと
→ 信心決定 絶対の幸福 摂取不捨の利益
誠なるかなや 摂取不捨の真言 (親鸞聖人)
感想
なぜ親鸞聖人は法然上人にダマされて地獄に堕ちても後悔しないと言い切られたのか。それは阿弥陀仏の本願が誠だったと知らされたからだった。誠だったと知らされたとき、疑いようのないことだとはっきりする。
親鸞聖人は9才で出家されてずっと後生の一大事の解決を求められていた。29才まで比叡山で修行されたが後生の一大事は解決できなかった。途方にくれていたときに法然上人とであわられ、阿弥陀仏の本願によって後生の一大事の解決ができたといわれる。阿弥陀仏の本願によって後生の一大事を解決することができたのは法然上人のおかげだから、たとえダマされても後悔しないといいきれた。ダマされてもとは言葉の表現の仕方がわかりずらいが、それほど信じているということだろう。親鸞聖人が本当に喜ばれてでた言葉だったと思う。
仏教の教えを正しく伝える人に出会うことはめったにないことがわかる。出会えない人のほうが多い。
だからこうして親鸞聖人のみ教えを聞くことが出来るのは、とても感謝しなければならない。
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