『歎異抄』には、親鸞聖人の信心の深さを表す有名な言葉があります。
たとい法然聖人にすかされまいらせて念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候
この言葉には、親鸞聖人が法然上人をどれほど深く信頼しておられたかが表れています。
親鸞聖人のお師匠・法然上人
親鸞聖人のお師匠が法然上人です。
私たちは、誰かを信じるかどうかを決めるとき、「この人はだます人か、信頼できる人か」を基準に考えることが多いでしょう。
しかし親鸞聖人は、
「たとえ法然上人にだまされて、念仏して地獄へ堕ちることになっても、少しも後悔はしない」
と言いきられました。
それほどまでに法然上人を信頼しておられたのです。
親鸞聖人が人生をかけて求めた「後生の一大事」
親鸞聖人が求めておられたのは、名誉や財産ではありませんでした。
人生最大の問題である後生の一大事、すなわち「死後、迷いの世界から離れられるのか」という問題を解決したいと、命がけで求道されたのです。
その答えを示してくださったのが、法然上人でした。
法然上人は、阿弥陀仏の本願によって救われる道を親鸞聖人に教えられたのです。
後生の一大事とは

阿弥陀仏の本願とは
阿弥陀仏の本願とは、
「どんな極悪人であっても、平生の一念で必ず絶対の幸福に救い摂る」
という阿弥陀仏のお約束です。
救われる条件は、自分の修行や善行ではありません。
親鸞聖人も最初は本願を疑われた
親鸞聖人も、初めから阿弥陀仏の本願を信じきれたわけではありません。
「本当に自分のような煩悩深い者が救われるのだろうか」
このように本願を疑う心を、浄土真宗では、疑情(ぎじょう)といいます。
しかし、法然上人から教えを聞き続けるなかで、その疑いは晴れ、阿弥陀仏の本願に間違いがないと知らされました。
阿弥陀仏の本願を疑う疑情とは

信心決定と摂取不捨の利益
阿弥陀仏の本願に対してツユチリほどの疑いがなくなったとき、それを信心決定といいます。
信心決定した人は、阿弥陀仏に決して捨てられることがない身になるので、これを摂取不捨の利益ともいいます。
親鸞聖人は、この喜びを次のようにいいあらわされました。
誠なるかなや 摂取不捨の真言
「摂取」とは阿弥陀仏が摂め取ること。
「不捨」とは決して捨てられないことです。
まとめ
『歎異抄』の
たとい法然聖人にすかされまいらせて念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候
という言葉は、法然上人という一人の人間を盲目的に信じたという意味ではありません。
人生最大の問題である後生の一大事を真剣に求め、その解決の道として阿弥陀仏の本願を教えてくださった法然上人への、揺るぎない信頼を表した言葉です。
そして、その本願を疑いなく受け入れたとき、信心決定となり、阿弥陀仏に決して見捨てられることのない摂取不捨の利益の身になることができるといわれます。
感想
なぜ親鸞聖人は法然上人にダマされて地獄に堕ちても後悔しないと言い切られたのか。それは阿弥陀仏の本願が誠だったと知らされたからでした。誠だったと知らされたとき、疑いようのないことだとはっきりします。
親鸞聖人は9才で出家されてずっと後生の一大事の解決を求められていた。29才まで比叡山で修行されたが後生の一大事は解決できなかった。途方にくれていたときに法然上人とであわられ、阿弥陀仏の本願によって後生の一大事の解決ができたといわれる。阿弥陀仏の本願によって後生の一大事を解決することができたのは法然上人のおかげだから、たとえダマされても後悔しないといいきられました。親鸞聖人が本当に喜ばれてでた言葉だったと思います。
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