「もっと認めてほしい」
「もっと大切にしてほしい」
このような気持ちは誰にでもあります。
しかし仏教では、この「相手からもらおうとする心」を慳貪(けんどん)と教えられます。
慳貪とは「もらうことばかり考える心」
慳貪とは、自分が得をしたい、自分が愛されたい、自分が認められたいと、相手から受け取ることばかり求める心です。
例えば、
・認めてもらいたい
・優しくしてほしい
・感謝してほしい
・愛してほしい
と願うことは自然なことですが、それだけでは人間関係はうまくいきません。
「なぜ相手は自分を認めてくれないのか」と不満ばかりが大きくなってしまうからです。
布施とは慳貪の反対
慳貪の反対が布施(ふせ)です。
布施とは、お金を寄付することだけではありません。
・相手を認める
・相手を大切にする
・励ましの言葉をかける
・感謝を伝える
・時間を使って相手を助ける
これらもすべて布施です。
人間関係で大切なのは、
「相手は自分を認めてくれるだろうか」
ではなく、
「自分は相手を認めているだろうか」
と自分自身に問いかけることです。
布施についてはこちらも

「乏しき時与えるは富みて与えるに勝る」
仏教には、
乏しき時与えるは富みて与えるに勝る
という言葉があります。
お金に余裕がある人が寄付をすることも立派です。
しかし、自分自身も苦しい中で誰かを助けることは、さらに難しいことです。
仏教では、
難しい善ほど尊い
と教えられています。
だかこそ、困っているときでも誰かを思いやる心には、大きな価値があります。
善い行いは今すぐ始める
善い行いにはタイミングがあります。
「余裕ができたら」
「時間ができたら」
「お金持ちになったら」
そう考えているうちに、一生始められないこともあります。
だからこそ、
善いタネは時期を選ばずすぐに蒔け
という言葉があります。
善い種をまけば、いつか必ず善い実が実ります。
因果の道理から見ても、善い結果は善い原因からしか生まれません。
仏教で教えられる因果の道理とは

効果的な利他主義という考え方
現代では哲学者のピーター・シンガーが提唱する「効果的利他主義」が注目されています。
これは、
「限られた時間やお金を使うなら、より多くの人を助けられる方法を選ぼう」
という考え方です。
どのような形で人を助ければ最も大きな善になるのかを考える点が特徴です。
仏教もまた、自分だけの利益ではなく、多くの人の幸せを願う心を大切にしています。
「長者の万灯よりも貧者の一灯」
仏教には有名なたとえがあります。
長者の万灯よりも貧者の一灯
これは、多くのお金を持つ人が数え切れないほど灯明を供えるよりも、貧しい人が精いっぱい供えた一本の灯明のほうが尊いという教えです。
仏教は、金額や結果だけを見ているのではありません。
心を一番重視する
と教えられています。
まとめ
私たちは「もっと愛されたい」「もっと認められたい」と願いがちです。
しかし、仏教が勧めるのは、その前に自分から与える生き方です。
・相手を認める
・相手を大切にする
・感謝を伝える
・思いやりを行動にする
小さな布施でも、今日から始めることができます。
善い種は、蒔いた分だけ人生を豊かにしていきます。
まずは、自分から与える一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。
感想
他人に大切にされたいと思ったらまず相手を認める、大切にすることが大事だとわかりました。慳貪とは相手から認めて欲しい、大切にして欲しいともうらうこばかりをすることです。
恋愛でも好きな相手がいたら、自分から相手に優しくするとうまくいくと思います。相手から好きになってくれないかと待っていても何も変わりません。僕自身、それは何度も失恋してわかりました。まずは自分から相手を大切にすることが大事だということをよく覚えておきたいです。
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