頑張れない人は何を知らないのか?努力を続けるために大切な3つのこと

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「頑張りたいのに、なぜか頑張れない」

「何をやっても長続きしない」

「自分には根性がないのではないか」

そんなふうに悩んでいる人は少なくありません。

しかし、頑張れないのは、必ずしも意志が弱いからではありません。

まだ**「これなら生涯をかけても悔いはない」と思えるものが見つかっていない**のかもしれません。

また、努力や継続について大切なことを知らないために、途中で諦めてしまっている可能性もあります。

今回は、頑張れない人が知っておきたい3つのことを、仏教の「因果の道理」とともに考えてみます。

目次

1.情熱を傾けられるものが見つかっていない

頑張れない理由の一つは、本当に頑張りたいと思えるものが、まだ見つかっていないことです。

たとえば、レストランを経営したい人がいたとします。

単に「お金を稼ぎたい」というだけでは、苦しいことが続いたときに心が折れてしまうかもしれません。

しかし、

「自分の作った料理を食べてもらいたい」

「お客さんから『おいしかった』と言ってもらいたい」

「この料理をもっと多くの人に届けたい」

という強い思いがあれば、簡単には諦めません。

大変なことがあっても、工夫しながら前へ進もうとします。

だから大切なのは、

「自分は何なら生涯をかけても悔いはないと思えるだろうか」

と考えてみることです。

すぐに答えが出なくてもかまいません。

むしろ、最初から人生をかけられるものが見つかっている人のほうが少ないでしょう。

いろいろなことを経験する中で、「もっとやってみたい」「これは面白い」と感じるものが少しずつ見つかっていきます。

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2.頑張れない人は「量の威力」を知らない

努力を続けるうえで知っておきたいのが、量の威力です。

つまり、とにかく数多くやってみることです。

岩清水 集めてやがて 奔流に

山の岩間から流れ出す小さな水も、集まればやがて大きな流れになります。

同じように、

点滴も たゆまなければ 石穿つ

という言葉があります。

小さな水滴でも、同じ場所に落ち続ければ、やがて硬い石に穴を開けます。

一回一回の努力は、小さなものかもしれません。

今日一日頑張ったからといって、人生が劇的に変わるわけではありません。

しかし、

一回が十回になり、

十回が百回になり、

百回が千回になる。

その積み重ねによって、最初には想像できなかったところまで到達することがあります。

大切なのは、一回の大きな努力より、小さな行動を何度も積み重ねることです。

「こんなことをやって意味があるのか」

と思うような小さな一歩でも、続けることで大きな力になります。

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3.最初からうまくいかないのが普通だと知る

もう一つ知っておきたいのが、

最初からうまくいかないのが普通である

ということです。

何か新しいことを始めると、失敗します。

思ったような結果が出ないこともあります。

そこで、

「自分には才能がない」

「やっぱり無理だった」

と判断してしまえば、それで終わってしまいます。

最初から成功することを期待するのではなく、ダメでもともとくらいの気持ちで挑戦してみる。

失敗したら、

「なぜダメだったのか」

「次は何を変えればいいのか」

と考えて、もう一度やってみる。

いわゆるトライ・アンド・エラーです。

「窮すれば転ず、転ずれば通ず」

という言葉があります。

行き詰まったからこそ、やり方を変える。

やり方を変えるから、新しい道が開けるのです。

失敗とは「終わり」ではなく、次の方法を見つけるための材料でもあります。

「桃栗三年柿八年」――結果が出るまでには時間がかかる

「桃栗三年柿八年」ということわざがあります。

何かを育てても、すぐに実がなるとは限りません。

努力も同じです。

種をまいても、すぐに結果が現れるものもあれば、何年もかかるものもあります。

一年やって結果が出ない。

二年やっても結果が出ない。

三年続けても思ったようにならない。

そんなとき、

「今までの努力は全部無駄だった」

と思ってしまうかもしれません。

しかし、結果がまだ現れていないことと、努力が無駄だったことは同じではありません。

表面には見えなくても、経験や知識、技術は少しずつ積み重なっています。

仏教の「因果の道理」から努力を考える

仏教では、因果の道理が説かれます。

原因があって結果が生じる。

何もせずに結果だけが突然現れるのではありません。

自分がやった行いは「因」となり、さまざまな「縁」と結びついて「果」が生じます。

だから、結果がすぐに出なかったとしても、行動することには意味があります。

失敗した経験も、

「この方法ではうまくいかない」

という大切な学びになります。

無駄だったと思った経験が、後になって成功につながるヒントになることもあります。

大切なのは、結果が出ないからといって、すぐにすべてを無駄だったと決めつけないことです。

頑張れない自分を変えるには、小さく始める

頑張れないときに、いきなり大きな目標を立てる必要はありません。

まずは小さくやってみる。

うまくいかなければ方法を変える。

そして、もう一度やってみる。

その繰り返しです。

まだ情熱を傾けられるものが見つかっていないなら、いろいろなことを試してみればいい。

まだ結果が出ていないなら、もう少し続けてみる。

失敗したなら、そこから一つ学んで次へ進む。

「見つける」「数を重ねる」「失敗から学ぶ」

この3つを繰り返しているうちに、小さな岩清水が大きな奔流になるように、自分の進む道が少しずつ見えてくるのではないでしょうか。

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感想

人生の中で情熱を傾けられるものを見つける。それが見つかれば自然と頑張ることができるという。人生をかけて打ちこめるものがある人はとても幸せな人だと思います。

物事を始めても最初から上手くいかないことを心得ておくことも大事なことだと思いました。失敗の連続で挫折してしまうこともありますが、簡単には諦めないようにしたいです。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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