立場や力で嫌なことを押し付けてくる人
上司だからといって嫌な事を押し付けてくる。あるいは友人やパートナーが、立場や力が上で自分に嫌なことを押し付けてくる。
その時に一番大事なのは、自らが決断すること。
上司や友人が何かこれやってくれと嫌なことを押し付けてきたときにそれを「はい」と受けるも「嫌です」と断るのも自分が決断しなければならない。
立場が上だから断れない、逆らえない、という人もいるが断ることはできる。
断っても死にはしない。
断ったことによって出世に響くとか、人間関係がギスギスすることはある。
断るべきか、受けるべきか、自分が決断する。
決断する指針は自分に依頼してくる人は、自分のことをよくよく考えてくているかどうか。
それとも依頼してくる人の都合しか考えていないか。
自分のことをよく考えてくれている人とは、話しを聞いてくれる人。
どんなに立場や力があるといっても、自分のことについてどう考えてくれているか、というのは大事なこと。
自分のことを考えてくれない人とは距離を置くべき。

あなたじゃないとダメなのと嫌なことを押し付けてくる人
あなたじゃなければダメなのといわれると、ついつい引き受けてしまうことがある。
しかし、ここでも自分で引き受けるか、断るか決断しなければならない。
例えば、お金がないからお金貸してと友達にいわれる。
そのときお金を貸したが、お金が返ってこなかった。あいつに裏切られたと思っても、自分が貸すと決めたんだから自分に責任がある。
受け入れるのも断るのも自分で判断したこと。
お前のためだと言って束縛してくる人
俺はこんなに愛しているんだから、お前のために言ってやってるんだといい束縛してくる。
自分のLINEの異性のアカウントをブロックしろと強制してきたり、誰と会うのかと干渉してきたりして束縛する。
愛は惜しみなく奪う
これだけ俺は愛しているからそれに対して、あなたの私に向ける気持ちは少ないんじゃないかと怒りがわく気持ち。
愛は惜しみなく与える
本当に大切な人だったら自分の時間や自分のエネルギーをどれだけ使っても惜しくないという気持ち。
私たちの本性は我利我利亡者といって、自分さえよければ他の人はどうなってもいいと思っている。
相手は自由な個人なのだから行動も束縛もできないし、ましてや心の中は誰も束縛できない。
好きになってもらいたかったら、好きになってもらうように努力しなければならない。
束縛は相手を尊重していない。
嫌がらせ、いじめる人
嫌がらせ、いじめ、マウントをとる人、上から目線の人がいる。
いじめは相手が苦しんでいるのを見て面白がる心。
最低の幸せの感じ方。
人に嫌がらせをして喜ぶ人。
そんなことで幸せを感じる人になってはいけない。
だけど人間は人の不幸を見てクスクス笑う本性を持っている。
嫌がらせとか、いじめをされたら、我慢しないこと。
嫌なことなら嫌ですと意思表示しなければならない。
何もいわないというのは苦しくなる。
信頼できる人に相談することが大事。

感想
周りの人から嫌なことを頼まれた時、引き受けるのも断るのも自分の決断だから自分に責任がある。断るとその人との関係が悪くなることがあっても、自分にとって本当に嫌ことなら断る必要がある。
引き受けるか断るかを他人に委ねてしまうと、うまくいかなかったとき必ずあいつのせいだ、と思ってしまい不満が残る。最初から自分で決めたことだと思えれば、うまくいかなくてもあきらめがつく。
仏教では常に自分でやったことは自分に返ってくるという自因自果が説かれています。うまくいってもいかなくても自分に原因がある。それを自覚できれば自分の行動や言動を変えていこうと思えます。
自分の行動や言動を変えられれば、人生はいくらでも変えることができると思います。
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