そうきたか~、さて、どうする?
人生には順境もあれば逆境もあります。
順境とは調子のいい時、逆境とは調子が悪い時。
人生にはどうしたって逆境(都合の悪い時)はやってきます。
そういう時、私たちは落ち込んだり、腹を立てたりします。
不自由さ、邪魔だ、なんで俺ばっかりこんな目に、と思ってしまう。
逆境は必ずやってくる。やってこない人はいない。
仏教ではこの世は火宅無常の世界と言われます。
火のついた家のように不安な世界の中に私たちは生きている。
いつなにが起こるかわからない無常の世界。
そいういう世の中に生きているので当然、自分の思い通りにいかない。
不都合な事が起きた時に「そうきたか~、さて、どうする?」と考える。
現在の自分の行動、言動、心の向きを問題にするのが仏教です。
仏教には他因自果、自因自果という考え方があります。
他因自果とは、あいつがあんなことやったから自分はこんな目にあったんだと考えること。これは迷いの発想で愚痴の心と教えられます。
自因自果とは、自分のやった原因で自分が今こういう結果を受けたんだと考えること。これは智慧の発想と教えられます。
自因自果の発想の人は逆境や不都合な事態は縁だと受け止める。
仏教では縁も大事だけれども、因が大事だと教えられます。因と縁がそろって結果が起きると教えられます。
結果とは私たちの身の上に起きる運命の事です。
因とは自分の行いで縁(不都合な事態)がきたときに、「さて、どうするか」と行動を変えることで結果が変わるということです。
自由になりたいというのは、不都合な事態がこないでほしいということなら絶対にない。
他人は自分の思い通りにならないし、世の中も自分の思い通りに動かない。
自分は万物の創造主ではない。
不自由な人は人になんとかしてもらおうと思っている。
どんなあことが起きたとしても自分が何とかしなければという発想になる人は、自由になれる。
自由になれるかなれないかは、考え方次第。

自由とは他の人の自由を奪うことではない
自由になりたいという人がいるが自分が自由になるということは、他の人に不自由を強いることではあってはならない。
自分は自由かもしれないけれど、他の人に不自由を強いることは我がままな人といえる。
周りの人がみんな我がままになったら、あちこちでぶつかって幸せになれない。
自由というのはいろんな事態が起きても、自分はどう考えるかということに対して自由であることです。
自由と我がままを履き違えてはいけない。
陸奥宗光
明治の政治家に陸奥宗光という人がいます。
外務大臣として活躍した人で、日本の外交の父とまでいわれた人です。
陸奥宗光のエピソードでこんなことがあります。
山形の刑務所に5年間収容された時期があった。禁固刑だったけれども不自由を強いられた時期があった。その時、陸奥宗光が手紙にこう記しています。
毎朝八時から夜は十二時まで努めて本を読んでいる。一月も怠ることはない
不自由な状態でも、あいつのせいだ、こいつのせいだ、と不平不満をいってもしょうがないと思っていたからの言葉だといえます。
花の咲かない冬の日は
下へ下へと根を伸ばせ
という言葉もある。
陸奥宗光は不自由なときでも、ただ嘆いているだけではなかった。
自分は今の状況をどう生かすことができるかと考えた人だった。
不都合な事態が人生に起きた時に、どう受け止めるかによって人生というのは変わる。
親鸞聖人は35歳の時に流刑になって越後へ行かれた。非常に不都合な事態だった。
当時の越後は虎狼の住む地といわれ、狐や狼の住む地といわれるくらい僻地だった。
不自由な生活になっても親鸞聖人は落ち込んだり、悲観しなかった。
恩師法然様が、もし流刑に遭わなければ、この親鸞も新潟に流されることはなかっただろう。もしそうならば、どうしてこの土地の人たちに阿弥陀仏の本願をお伝えすることができただろう。偏にこれ、お師匠様のご恩の賜物。親鸞、喜ばれずにいられないのだ。
と親鸞聖人はいわれている。
このご縁最大限に生かそうと思われた。
どんな不都合な逆境がきても、「さあ、どうするか?」と道を切り拓かれていかれた自由な方でした。

感想
人生に逆境は必ずやってくるがその時に、あいつのせいだ、こいつのせいだと、人のせいにしていたら今の現状は変わらない。
今、こうなったのは自分に原因があるから、自分の行動を変えていこうと考えることが重要。自分が変われば運命も変えることができる。
普段から自分の身の上に起きることは自分に原因があると心得ておくことで、逆境がきたときにも対応できるようになるはずだから意識していきたいです。
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