銭が余って算用が合わん
・ お釈迦さまは、善因善果ということを教えられたかた。因とは業因といい、私たちの行いのことです。善い行いをすると善い結果がきます。善い結果とは幸せのことです。
・ 幸せになりたかったら善い行いをしなさい。行いによって私たちは様々な運命を受けます。善い行いといっても様々あるから、これを諸善といいます。
・ 幸せの種をまけば、幸せの花が咲く。自分の心の中を幸せの花でいっぱいにしたかったら幸せの種をまきなさいと、お釈迦さまは教えられました。
・ 諸善の中でも筆頭に挙げられるのが布施です。布施とはインドの言葉ではダーナといいます。ダーナを中国の人が布施と訳しましたが、それは与える、施しという意味です。幸せになりたかったら、与えなさいと教えられます。
・ ところが、布施はそう簡単ではない。布施というのは相手に与えること。相手のために時間を割くということであり、お金を使うことであり、労働することであり、不便(忍耐)することであり、痛みを分かちあることです。
・ これらはどれをとっても大変な事です。なぜなら、自分が損することのように思えるからです。
・ 自分がリンゴを5つ持っていたとします。そのうち相手に2つリンゴを与える。自分は2つ減ったので損したように思える。布施をすると自分がどんどん貧しくなり不幸になっていくように思えます。
・ ところが仏教では布施をすれば必ず戻ってくると教えられます。与えた相手から戻ってこなくても、回り回っていろんなところから戻ってきて、いつしか自分のリンゴが6つになると教えられます。
・ これを自利利他といいます。相手の幸せを考え実行すると自分も幸せになれる。相手を気遣う人が、相手からも気遣われる。相手を大切にする人が自分も大切にされる。
・ これを「銭が余って算用が合わん」といいます。銭が余って計算が合わない。計算からすると損するはずなのに銭が増えている。
・ これは元々「算用が合って銭が足らん」という言葉からきています。計算して銭を使っているはずなのになぜかお金が足りない、という意味です。
・ なかなか人のために親切することはできない。親切とは親を切ると書く。親を切るような辛い思いがするというところから親切といわれるようになったといいます。

三輪空
・ 人に親切するときに、この人なら見返りがくるだろう、と、利害打算、損得勘定で人を選んでしまう。仏教では三輪空といって、私は、誰々に、何々を、この3つを忘れなさいと教えられます。
・ この人に親切したところで何も返ってこないと思うと、途端にやる気がなくなります。
・ 相手から見返りがくるかこないか関係なく、相手のことを思って与える。これが布施です。
・ 人前では親切にするが人が見ていないとやらない、これでは結局、利害打算でやっている。人が見ている見ていないに関わらず親切することが大事です。
感想
幸せになりたかったら、善い行いをする。そうすればよい運命、幸せになれるという。善い行いとは布施をする、人に与えることが大事なんですね。人が見ていない所でも布施をする。そうすれば幸せはやってくる。
僕自身がやっている布施の一つに、お世話になった福祉施設にお中元とお歳暮を贈るということをしいています。もう5年以上続けています。お世話になったから贈っていますが、回り回って僕に何か幸せがこないかな、とも思っています。
与えることは難しいですが、与えることに喜びや楽しさを見出すことができれば続けることができます。そのときはあまり大きなことをしようとせず、小さなことでもいいので与えることができればいいと思います。

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