私たちのやる善行には毒が混じる

要約

■ 雑毒の善

・ 相手に対して何か善いことをしたとき、相手から感謝の気持やお礼がないときイライラしてしまう

・ 私たちのやる善行には毒が混じっている

→ 毒とは見返りを求める心 

→ 手柄心 恩着せ心

・ 小さな善なら小さな毒 大きな善なら大きな毒

■ 人に親切することは一切やらないほうがいいのか

・ 人に善い行いをすることはいいこと

・ 幸せになるための種まきの筆頭にあげられるのが布施(親切)

・ 自分のやった行ないによって自分が結果を受ける 自因自果

・ 自分が親切してお礼が返ってこないとイライラする。その原因は見返を求める心や手柄心が自分にあるから。これを忘れなさいと仏教では教えられる。

・ 三輪空

→ 私が 誰々に 何々をした この三つを忘れなさいと教えられる

・ 仏教では他人を幸せにするままが自らが幸せになることができる自利利他が教えられている

■ 利他に励む人には幸せが返ってくる

感想

人に親切をしたときに、見返りを求めてしまう心がある。それを仏教では雑毒の善と教えられる。別に見返りを求めて親切をしたわけじゃなくても、ありがとうと言われないとムカムカしてしまう。

僕が人に親切をしても見返りがなかった場合考えるようにしていることは、「自分も少しは世のため、人のためになったからいいか」と考えていた。しかしこれは当然、イライラしながら考えていた、ということだが。善行をしたときに混じる毒を完全になくすことはできない。

仏教では毒を減らすためには、私が誰々に何々をしたことを忘れることが大事だと教えられている。忘れることはなかなかできないが、善行をたくさんしてそれが当たり前のようになっていればそれほど意識しなくなる。善をすることが当たり前のような境地を目指したい。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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