要約
■ どうしてそういう結果になったのか原因をあきらかにみる
・ 諦観
・ 果 → 因
・ 因果の道理
→ 善因善果 悪因悪果 自因自果
・ 業因 → 果報
→ 運命は行いによって引き起こる
■ やった行いと同質の結果がやってくる
・ 等流因等流果
・ 殴ったら殴られた 一万円を盗んだら一万円盗まれた 詐欺をしたら詐欺でダマされた
☆ 親捨てた 報いで子にも 捨てられる
→ 親をないがしろにしてきたら、自分が子供にないがしろにされる
☆ 呼べば呼ぶ 呼ばねば呼ばぬ 山彦ぞ まず笑顔せよ みな笑顔する
→ まずは自分から心を開くことで相手は心を開く
■ まいた種が違った形になって現れる
・ 異熟因異熟果
・ 風が吹けば桶屋が儲かる
→ 風が吹くと砂が舞う 砂が舞うと目に入って目がつぶれる 盲人の仕事は三味線を弾く 三味線は猫の皮を使っている 三味線が増えると猫の数が減る 猫が減るとネズミが増える ネズミが増えると桶をかじられる 桶屋が儲かる
・ 人間にはわからないが必ず因果関係がある
→ 善い行いは回り回って善い結果に
→ 悪い行いは回り回って悪い結果に
■ 因果の道理が知らされると廃悪修善につとめる
→ 悪いことをやめて善いことをしようとする
感想
どうしてこうなったのかわからない因果関係というのがある。それは人間の知恵ではわからないというだけで、因果の道理にくるいはないと仏教では教えられる。結果には必ず原因がある。原因なしに結果はおきない。
僕自身は、本を読むことが好きなのでよく本屋に行くことがある。本との出会いで自分の人生が大きく変わったという経験を何度もしたことがある。良い本との出会いも因果関係があるはずだ。普段の行いが善かったから回り回って良い本に出会えたと思うようにしていた。そう思えればこれからも善い行いをしていこうと思えるからだ。
仏教では結果には必ず原因があると教えられる。やった行いが違った形で現れることを異熟因異熟果というが、善い結果も悪い結果もほとんどがそうだと言われる。しかし、善い行いが悪い結果に、悪い行いが善い結果になることはない。だから善い結果にするために、常に廃悪修善につとめていきたい。
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