要約
善知識にあうことも おしうることもまたかたし よくきくこともかたければ 信ずることもなおかたし (親鸞聖人)
かたし = 難し 難しいという意味
信ずること = 信心決定
善知識 = 正しく仏教のことを教えてくれる先生
悪知識 = 間違って仏教のことを教える先生
真の知識にあうことは 難きが中になおかたし (親鸞聖人)
善知識にあうことは難しいが、信心決定することはなお難しい
正しく仏教を説く先生は少ない
→ 仏教を正しく説くとは、一向専念無量寿仏をあきらかにすること
→ 阿弥陀仏一仏に助けてもらうこと
親鸞聖人は一向専念無量寿仏を徹底的に教えていかれたから一向宗と呼ばれた
すべての人間は虚仮不実、そらごとたわごとまことない人間が真実の弥陀の本願を聞くことはできない 必ず誤解するから正しく聞けない
微塵劫を超過すれども、仏願力に帰し難く、大信海に入り難し。良に傷嗟すべし、深く悲嘆すべし (親鸞聖人)
当時はさらに真実信心を、うつくしく獲たる人、至りて稀なりと覚ゆるなり (蓮如上人)
感想
善知識に遇うことは難しい。教えることも、正しく聞くことも難しい。信心決定することも難しい。正しい仏教を聞くためには難しことばかりなのに驚く。
僕自身が親鸞聖人のみ教えを聞き始めたのが今から約5年ほど前だが、それまでの人生で正しい仏教を説く先生に出会ったことはなかった。近所の同級生や先輩後輩、学校の先生でも正しい仏教を知っている人は誰一人いなかった。だからこうして仏縁を結べたことは、確率的にいえばとても低いことで誰にでも結べる縁ではないことがわかる。仮に仏縁を結べても、信心決住するまで聞き抜くことはさらに難しい。僕と同時期に仏縁を結んだ人でも、途中で諦めてしまった人は何人もいる。
僕自身は信心決定するまで聞き抜くという覚悟を持っている。
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