浄土真宗では、人生で最も大切なことは「後生の一大事」を解決し阿弥陀仏の救いに遇うことだと教えられています。
しかし親鸞聖人は、そのことが決して容易ではないことを繰り返し教えられています。
善知識に遇うことは難しい
親鸞聖人は、
善知識にあうことも おしうることもまたかたし よくきくこともかたければ 信ずることもなおかたし
と教えられています。
ここでいう「かたし」とは「難しい」という意味です。
この和讃には四つの難関が説かれています。
⒈善知識に遇うこと
⒉仏法を教えてもらうこと
⒊正しく聞くこと
⒋信心決定すること
最後に、
「信ずることもなおかたし」
といわれています。
つまり、真実の信心を獲ることが最も難しいということです。
善知識とはどのような人か
善知識とは、仏教を正しく教えてくれる先生のことです。
反対に、誤った教えを説く人を悪知識といいます。
親鸞聖人が示された善知識の条件は、
阿弥陀仏の本願を正しく説くこと
にあります。
浄土真宗の要は、
「一向専念無量寿仏」
です。
これは、
「阿弥陀仏一仏に助けてもらう」
という意味です。
親鸞聖人はこの教えを徹底して説かれたため、当時の人々から「一向宗」と呼ばれました。
阿弥陀仏の本願についてはこちらから

真の知識に遇うことは難中の難
親鸞聖人は、
真の知識にあうことは 難きが中になおかたし
と教えられています。
世の中には多くの宗教家や指導者がいます。
しかし阿弥陀仏の本願をそのまま説き聞かせる善知識は極めて少ないのです。
だからこそ、
「正しい教えを聞くこと」
そのものが非常に難しいといわれています。
なぜ真実の教えを聞いても信じられないのか
問題は善知識の少なさだけではありません。
私たち自身にも原因があります。
親鸞聖人は、
すべての人間は虚仮不実、そらごとたわごとまことない人間が真実の弥陀の本願を聞くことはできない 必ず誤解するから正しく聞けない
と教えられました。
信心決定が難しい理由
親鸞聖人は、
微塵劫を超過すれども、仏願力に帰し難く、大信海に入り難し。良に傷嗟すべし、深く悲嘆すべし
と教えられています。
現代語にすると、
「どれほど長い年月が経っても、阿弥陀仏の願力に帰入し、大信海に入ることは難しい。まことに嘆かわしく悲しいことである」
という意味です。
信心決定とは、人間の努力や能力によって得られるものではありません。
だからこそ、親鸞聖人はその難しさを深く嘆かれたのです。
蓮如上人も信心の人は稀だと教えられた
蓮如上人も、
当時はさらに真実信心を、うつくしく獲たる人、至りて稀なりと覚ゆるなり
と仰っています。
「真実の信心をいただいている人は、まことに少ないように思われる」
という意味です。
これは現代だけではありません。
蓮如上人の時代ですら、真実信心を獲た人は稀であるといわれていました。
信心決定への第一歩とは
では、どうすればよいのでしょうか。
親鸞聖人は、
まず善知識に遇い
その教えを素直に聞き続けること
を勧められています。
信心決定は自分の力でつかみ取るものではありません。
阿弥陀仏の本願を聞き続ける中で、阿弥陀仏から頂くものです。
だからこそ浄土真宗では、
「聞法第一」
といわれます。
まとめ
親鸞聖人は、
・善知識に遇うことは難しい
・正しく仏法を聞くことも難しい
・真実信心を獲ることはさらに難しい
と教えられました。
しかし難しいからこそ、善知識の教えに耳を傾け、聞法を続けることが大切です。
阿弥陀仏の本願を聞き続けるところに、後生の一大事の解決への道が開かれていくのです。
感想
善知識に遇うことは難しいことがわかりました。教えることも、正しく聞くことも難しい。信心決定することはさらに難しい。正しい仏教を聞くためには難しことばかりなのに驚きました。
僕自身が親鸞聖人のみ教えを聞き始めたのが今から約5年ほど前だが、それまでの人生で正しい仏教を説く先生に出会ったことはありませんでした。近所の同級生や先輩後輩、学校の先生でも正しい仏教を知っている人は誰一人いませんでした。だからこうして仏縁を結べたことは、確率的にいえばとても低いことで誰にでも結べる縁ではないことがわかかりました。仮に仏縁を結べても、信心決定するまで聞き抜くことはさらに難しい。僕と同時期に仏縁を結んだ人でも、途中で諦めてしまった人は何人もいます。
信心決定できるまで聞法を続けていきたいと思います。
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