阿弥陀仏の本願を聞く人はなぜ少ないのか—宿縁と平生業成の教え

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阿弥陀仏の本願を聞く人は決して多くない

世界人口の中で仏教を信仰している人の割合は決して多数ではありません。

さらに、その仏教の中でも阿弥陀仏の本願について聞いている人はごく少数です。

たとえば欧米では、坐禅やマインドフルネスの影響から禅仏教は比較的知られていますが、阿弥陀仏の本願や浄土真宗の教えについて知る人は多くありません。

そして、阿弥陀仏の本願を聞いている人の中でも、

「生きている今、救われる」

という教えを理解している人はさらに少ないといわれます。

阿弥陀仏の本願とは平生に救われる約束

阿弥陀仏の本願とは、

「死んでから救う」

という約束ではありません。

浄土真宗では、

平生業成(へいぜいごうじょう)

と教えられます。

平生とは、生きている今現在。

業成とは、生きているときに後生の一大事が解決する

ということです。

親鸞聖人が教えられた救いは、

・信楽をいただく

・摂取不捨の利益にあずかる

・後生大安心になる

という現在の利益です。

しかし現実には、

・「死んだら極楽へ往く」

・「死んだら仏になる」

という理解にとどまり、

平生業成の意味まで聞き開いている人は少ないのです。

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多くの人が信じるから真実とは限らない

世の中では、

「多くの人が言っているから正しい」

と思われがちです。

しかし仏教では、真実は多数決では決まりません。

歴史を見ても、真実が最初から多くの人に受け入れられた例は少ないでしょう。

むしろ真実であればあるほど、人間の思い込みや常識に反するため理解されにくいことがあります。

阿弥陀仏の本願もまた、人間の考えでは計れない教えです。

なぜ真実の教えが聞きにくいのか

私たちは、

・欲望を満たす話

・名誉や利益を得る話

・他人との比較で優越感を得る話

には強く関心を持ちます。

しかし、

・自分の煩悩を知らされる話

・人生の無常を教えられる話

・後生の問題を問う話

には耳を傾けにくいものです。

だかこそ仏教の教えは、聞きたい話というよりも、

本当に聞かなければならない話

だといわれるのです。

本願を聞けば伝えたくなる

阿弥陀仏の本願が真実であったと知らされると、

「この教えを伝えたい」

という気持ちが起こります。

なぜなら、

後生の不安が解決し、

絶対に崩れない幸福への道が明らかになるからです。

しかし、その教えを聞いた人すべてが受け入れるわけではありません。

お釈迦さまは経典の中で、

・疑う人がある

・謗る人がある

と説かれています。

浄土真宗ではこれを

疑謗(ぎほう)

といいます。

真実の教えだからこそ、信じる人もあれば疑う人もあるのです。

「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」の意味

親鸞聖人は、

たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ

と教えられました。

行信とは、

阿弥陀仏の本願を聞き開き、信楽をいただくことです。

もしこの身にそのご縁が与えられたなら、

それは偶然ではありません。

遠い過去から続く仏縁によって導かれた結果であると喜ばれています。

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宿縁とは何か

宿縁とは、

宿世の仏縁

という意味です。

宿世とは過去世を指します。

阿弥陀仏は、煩悩に迷う私たちを見捨てることなく、

長い時間をかけて仏法に遇うよう導いてくださっていると説かれます。

親鸞聖人は、

信心をいただけたことを自分の努力や能力の結果とは見ず、

阿弥陀仏の大慈悲のはたらきによるものと喜ばれました。

まとめ

阿弥陀仏の本願を聞く人は世界的に見ても決して多くはありません。

さらに、本願の本意である

「平生業成」

すなわち、

生きている今、後生の一大事が解決する教え

を聞き開く人はさらに少ないといわれます。

しかし親鸞聖人は、

たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ

と教えられました。

煩悩具足の凡夫である私が本願に遇えたことは偶然ではなく、遠い過去から続く阿弥陀仏の大慈悲の導きによるものだというのです。

だからこそ、本願が誠であったと知らされた人は、その喜びを自分だけにとどめず、多くの人に伝えたいと思うようになるのです。

感想

仏教を正しく聞くことはとても難しいことがよくわかりました。だから世界で仏教を聞く人が少ない。しかも、その中で阿弥陀仏の本願を正しく知っている人はさらに少ないとわかりました。

僕自身のまわりでも、仏教を知っている人はいるが阿弥陀仏の本願が平生生きているときに救われる教えだと知っている人はいません。同級生や先輩、後輩でも知っている人はいないと思います。僕は本を読むことが好きだが、今まで読んだ本の中にも阿弥陀仏の本願が平生生きているとき救われる教えだと書かれたものに出会ったことがありません。仏縁を結んでできた法友に出会うまで話題になったこともありません。いかに知らない人が多いかは身の回りの人たちを見てもよくわかることです。

仏縁を結んでよかったことしかないので、今度は僕が縁となり阿弥陀仏の本願を知らない人に伝えていきたいと思っています。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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