【日々是好日とは】仏教が教える毎日を善い日にする方法

当ページのリンクには広告が含まれています。

「今日は運が悪かった」

「今日はついていた」

私たちは日々の出来事によって、その日を良い日だった、悪い日だったと判断しがちです。

しかし仏教では、日の善し悪しは出来事によって決まるのではなく、自分の心や行いによって決まると教えられています。

今回は「日々是好日」の意味を、仏教の視点から分かりやすく解説します。

目次

日々是好日とはどんな意味?

日々是好日とは、

「毎日を善い日にしてく生き方」

を表した言葉です。

一般には、

「毎日が良い日」

「どんな日もかけがえのない日」

という意味で使われます。

しかし仏教では、

最初から良い日や悪い日は決まっているのではない

と教えられます。

運勢や暦によって決まるのではなく、その日の自分の行いによって善い日にも悪い日にもなるのです。

吉凶は最初から決まっているのか

昔から、

・吉日

・凶日

・大安

・仏滅

など、日の善し悪しを気にする習慣があります。

しかし仏教では、

運の良い日、悪い日が最初から定められているわけではない

と説かれています。

大切なのは、

「今日はどんな行いをしたか」

です。

人に親切した日。

感謝の心で過ごせた日。

仏法を聞くことができた日。

そのような日は善い日といえるでしょう。

反対に、

怒りや嫉妬、恨みの心に振り回された日であれば、たとえ順調に見えても善い日とはいえません。

仏教で教えられる業因と果報

仏教では、

・業因(ごういん)

・果報(かほう)

という言葉があります。

業因とは

業因とは、

日々の行い

のことです。

言葉、行動、心の働きも含まれます。

果報とは

果報とは、

その結果として現れる運命や結果

です。

良い結果にも原因があり、悪い結果にも原因があります。

これを因果の道理といいます。

因果の道理についてはこちらも

あわせて読みたい
因果の道理とは?運は偶然ではない|仏教が教える原因と結果の法則 「これは祟りなのか?方角が悪いのか?」 思いがけない不運に出会うと、そう考えてしまうことがあります。 しかし仏教では、運命は偶然ではなく、原因と結果によって必...

悪い果報が来たときの考え方

思い通りにならない出来事があると、

・あの人が悪い

・環境が悪い

・運が悪い

と考えがちです。

しかし仏教では、

果報ではなく業因に目を向ける

ことが大切だと教えられます。

なぜなら、過去は変えられませんが、これからの行いは変えることができるからです。

今日の行いが明日の結果を生みます。

だからこそ、毎日を善い日にする努力が大切なのです。

イダイケ夫人とアジャセ王の物語

仏教には、「日々是好日」の意味を深く考えさせる有名な出来事があります。

それが、イダイケ夫人とアジャセの物語です。

イダイケ夫人は古代インドのマガダ国の王妃でした。

ところが息子のアジャセ王によって牢獄に閉じ込められてしまいます。

愛する息子に裏切られたイダイケ夫人の心は、

・憎しみ

・怒り

・恨み

でいっぱいでした。

人生最悪の日々だったといえるでしょう。

牢獄で聞いたお釈迦さまの説法

牢獄の中でイダイケ夫人は、お釈迦さまの教えを聞くことになります。

そこで人生の真実と阿弥陀仏の救いを知らされました。

そしてイダイケ夫人の心は大きく変わります。

以前は、

「息子にひどい目に遭わされた」

と思っていました。

しかし仏法を聞いた後は、

「牢獄に入れられたおかげで仏法に遇うことができた」

と思うようになったのです。

出来事は変っていません。

変わったのは心です。

恨みが感謝へと変わったのです。

日々是好日は心一つで決まる

イダイケ夫人の姿から分かるのは、

幸せは環境で決まるのではなく心で決まる

ということです。

牢獄に入れられること自体は不幸な出来事です。

しかし、その出来事を通して仏法に遇い、本当の幸せへの道が開かれました。

だからイダイケ夫人にとっては、

人生最悪の日が人生最高の日へと変わったのです。

これこそが日々是好日の精神といえるでしょう。

親鸞聖人が語られた喜び

親鸞聖人は、本当の幸せを得られた喜びを次のように表現されています。

どうしてだろうな、親鸞は嬉しい。インド、中国、日本の高僧方のご教導・み教えに親鸞何の間違いか遇わせていただくことができた。聞かせていただくことができたことは、なんともったいないことか。

親鸞聖人は、

地位や財産を得たことを喜ばれたのではありません。

仏法を聞き、本当の幸せへの道を知らされたことを何よりの喜びとされたのです。

日々是好日を生きるために

毎日の生活には、

・思い通りになる日

・思い通りにならない日

・嬉しい日

・苦しい日

があります。

しかし仏教では、

その日が善い日かどうかは出来事では決まらないと教えられています。

大切なのは、

・どんな心で受け止めるか

・どんな行いをするか

・仏法に耳を傾けているか

です。

心が変われば、同じ出来事でも全く違って見えるようになります。

日々小さな善を積み重ねると幸せになれることについて

あわせて読みたい
ささいな行いはムダではない|仏教の因果の道理からわかる努力の本質 「こんな小さなことをやっても意味がないのではないか」 そう思って、努力が続かなくなる人は少なくありません。 しかし仏教では、まったく逆のことが教えられています...

まとめ

日々是好日とは、

毎日を善い日にしていく生き方

を意味します。

仏教では、

・果報(結果)より業因(行い)を見る

・悪い結果があれば行いを振り返る

・心次第で毎日を善い日にできる

と教えられています。

イダイケ夫人は牢獄という苦しみの中で仏法に遇い、恨みの心を感謝の心へと変えられました。

また親鸞聖人は、仏法を聞くことができた喜びを何よりも尊いものとされました。

日々是好日とは、順境の日だけを喜ぶことではありません。

どんな一日であっても、その中で仏法を聞き、自らの心を見つめることができたなら、その日はかけがえのない善い日になるのです。

感想

仏教では日々の行いによってその日がいい日なのか悪い日なのかが決まるといいます。吉凶は問題にしない。いい果報を得たければ、善い行いをしなければならないとわかりました。

僕は運をよくするための方法についてのユーチューブの動画をよく見ることがあるが、その中で多いのが占いと風水の動画です。特に占いはテレビ番組に出演する有名な人が多く、その発言には影響力があると思います。しかし内容はどこにそんな根拠があるのかと疑いたくなることが多いように思います。それよりも自分の行いに目を向けることを重視する仏教の教えのほうが、はるかに運はよくなると思いました。しかし仏教の教えはマイノリティで、占いのほうが世間の認知度は高いと思います。

仏教では因果の道理という教えがあります。善因善果、悪因悪果、自因自果、自分の行いによって自分の運命は決まるといいます。このことをよく心に留めておいて生活していきたいです。

動画

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

コメント

コメントする

目次