「年を取るのが不安だ」
「病気なったらどうしよう」
「死ぬのが怖い」
これは誰もが抱える悩みではないでしょうか。
お金や地位、家族、名声、美貌、才能など、人が求めるものはたくさんあります。しかし、それらは若さや健康があってこそ成り立つものです。
年を取り、病気になれば、今まで当たり前だったものが失われることもあります。
では、老いや病気や死を超えた、本当の幸せはあるのでしょうか。
仏教では、その答えを明らかにしています。
お釈迦さまが最初に説かれた「人生は苦なり」
お釈迦さまは35歳で仏の悟りを開かれ、80歳で亡くなられるまで45年間にわたり教えを説かれました。
その教えが仏教です。
お釈迦さまは悟りを開かれた後、人間の現実についてまず明らかにされました。。
それが、
「人生は苦なり」
という事実です。
仏教は決して悲観的な教えではありません。
病気を治す名医がまず病状を診断するように、お釈迦さまは人間の苦しみを明らかにされたのです。
そして、その苦しみを根本から解決し、本当の幸せを与えることを目的とされました。
これを
「抜苦与楽(ばっくよらく)」
といいます。
仏教で説かれる四苦とは
仏教では、人間が避けることのできない苦しみとして、
・生苦(しょうく)
・老苦(ろうく)
・病苦(びょうく)
・死苦(しく)
の四苦を教えられています。
仏教で教えられる人生の苦しみ四苦八苦について

生苦
生きることそのものの苦しみです。
思い通りにならない現実の中で、不安や悩みを抱えながら生きなければなりません。
老苦
年齢を重ねることで、体力や記憶力が衰えていく苦しみです。
若い頃にできたことができなくなる現実に直面します。
病苦
病気による苦しみです。
健康を失うと、人生の楽しみも大きく制限されます。
死苦
死への恐れや不安です。
誰も避けることのできない人生最大の問題です。
お金や地位では解決できない苦しみ
お金があれば幸せになれると思う人もいます。
地位や名声を得れば満足できると思う人もいます。
しかし、どれほど財産や名誉を手に入れても、老病死から逃れることはできません。
実際に多くの成功者が、老いや病気や死に直面して苦しんでいます。
だからこそ仏教は、
老病死を超えた幸せ
を求める教えなのです。
親鸞聖人が教えられた「不体失往生」とは
親鸞聖人は、老病死を超えた本当の幸せを
不体失往生(ふたいしつおうじょう)
と教えられました。
不体失往生とは、
生きている今、絶対の幸福になること
です。
周囲の状況が変わっても壊れない幸せ。
病気になっても失われない幸せ。
死を迎えても崩れない幸せ。
それが不体失往生です。
また、
信楽(しんぎょう)
ともいわれます。
人生は難度海、大悲の願船とは
親鸞聖人は人生を
難度海(なんどかい)
にたとえられました。
難度海とは、渡ることが極めて難しい大きな海です。
私たちは苦しみや悩みの波が絶えず押し寄せる人生の海を泳いでいます。
仕事の悩み。
人間関係の悩み。
病気や老いへの不安。
将来への心配。
次から次へと波が押し寄せます。
しかし、その難度海には
大悲の願船(だいひのがんせん)
があると教えられています。
大悲の願船とは、阿弥陀仏の本願力による救いです。
この船に乗せていただくことが、人生の最大の目的だと親鸞聖人は教えられました。
絶対の幸福になると人生はどう変わるのか
大悲の願船に乗せていただくと、
苦しみがなくなるわけではありません。
老いも病気も死もなくなるわけではありません。
しかし、そられに振り回されなくなります。
人生の土台が根本から変わるのです。
苦しみの中にあっても崩れない安心と喜びを得ることができます。
これを
絶対の幸福
といいます。
阿弥陀仏の本願についてはこちら

体失往生とは
不体失往生を得た人は、命終わった後、
阿弥陀仏の浄土に往き、仏となると教えられています。
これを
体失往生(たいしつおうじょう)
といいます。
・不体失往生:生きている今、絶対の幸福になること。
・体失往生:死後、浄土に往って仏になること。
この二つは切り離されたものではなく、一つの救いの両面です。
どうすれば不体失往生になれるのか
では、どうすれば不体失往生になれるのでしょうか。
親鸞聖人は、その道を明確に示されています。
それが、
「仏法は聴聞に極まる」
という言葉です。
聴聞とは、仏教の教えを聞くことです。
自分の考えて悟ろうとするのではなく、阿弥陀仏の本願を聞き続けることによって、絶対の幸福へ導かれると教えられています。
まとめ
仏教の目的は、苦しみを抜き、本当の幸せを与えることです。
お釈迦さまは人生の根本苦として、
・生苦
・老苦
・病苦
・死苦
を教えられました。
そして親鸞聖人は、老病死を超えた絶対の幸福を「不体失往生」と説かれています。
人生という難度海を自力で渡ることはできません。
しかし、阿弥陀仏の大悲の願船に乗せていただけば、生きている今から絶対の幸福になることができると教えられています。
その道は特別な修行ではなく、
「仏法は聴聞に極まる」
という言葉の通り、仏法を聞くことにあります。
老病死を超えた本当の幸せを求めるなら、まずは仏法聴聞から始めることが大切なのです。
感想
お釈迦さまは、仏の悟りをひらかれて人生は苦なりと説かれました。その苦しみを抜いて幸せを与えるのが仏教だといいます。老病死を超えた本当の幸せがあるのなら、誰だってその身になりたいと思うと思います。
親鸞聖人は人生を難度海とたとえられました。すべての人は生まれたと同時に苦しみの海にほうりだされたことと同じだとたとえられています。海には板切れや丸太ん棒が浮かんでいます。それがお金や地位や家族や名声、美貌、才能のこと。板切れや丸太ん棒にすがることで、一時的には安堵できるが苦しみの波がやってきて板切れや丸太ん棒はひっくり返り、塩水を飲んで苦しむことになります。そんな海に大きな船があるといわれる。それが大悲の願船という船です。大悲の願船に乗せていただくことができれば、苦しみの人生が明るく幸せになることができるとわかりました。
仏教では絶対の幸福になることを目的としています。それが老病死を超えた幸せだと説かれます。死んだら浄土へ往って仏に生まれることが定まる。これこそが、お釈迦さまや親鸞聖人が生涯教えられたことだとわかりました。
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