人を恨むのはなぜか?仏教が教える因果の道理

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私たちは苦しいことや辛いことが起きると、

「あの人のせいだ」

「環境が悪いからだ」

「運が悪かった」

と思うことがあります。

しかし、お釈迦様は人を恨む心を愚かな心だと教えられています。

なぜ人を恨むことが愚かなことなのでしょうか。

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人を恨む心を仏教では「愚痴」という

仏教では、人を苦しめる根本的な煩悩として、

・貪欲(欲の心)

・瞋恚(怒り)

・愚痴(ねたみ・そねみ・恨み・憎しみ)

の三毒の煩悩が説かれます。

このうち愚痴とは、単なる愚かさではありません。

物事の本当の原因が分からず、

・人を恨む

・人を憎む

・人のせいにする

心のことです。

私たちは誰でも、この愚痴の心を持っています。

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縄を恨む泥棒のたとえ

仏教には「縄を恨む泥棒」というたとえがあります。

泥棒が捕まり、縄で縛られて苦しんでいました。

その泥棒は、

「苦しいのは縄のせいだ」

と思っています。

しかし、本当に苦しみの原因は縄でしょうか。

そうではありません。

縄で縛られた原因は、自分が泥棒をしたことにあります。

縄は結果を生じさせるきっかけに過ぎません。

原因は泥棒自身の行いにあるのです。

他人のことは見えるが自分のことは見えない

他人が問題を起こしたときは、

「それは自分に原因がある」

と冷静に見ることができます。

ところが、自分が苦しい目にあうと、

「あの人が悪い」

「会社が悪い」

と考えがちです。

自分の原因を見ようとせず、周囲ばかりを責めてしまいます。

仏教が教える「因」と「縁」

仏教では、

因と縁がそろって結果が生じる

と教えられています。

例えば稲作で考えると、

・因=もみだね

・縁=水・土・日光

・果=米

となります。

人生も同じです。

・因=私たちの行い

・縁=人・環境

・果=運命・結果

です。

結果は因だけでも、縁だけでも生じません。

両方そろって初めて現れます。

人はなぜ縁を恨んでしまうのか

苦しい結果が現れたとき、

私たちは縁となった人を恨みます。

「あの人が悪い」

「この環境が悪い」

と考えます。

しかし、それは稲が実ったときに、

「水が悪い」

「土が悪い」

と言っているようなものです。

結果を生み出した直接の原因は種にあります。

ところが私たちは、自分の蒔いた種を忘れてしまうため、縁ばかりを責めてしまうのです。

なぜ自分の行いを忘れてしまうのか

もし悪い行いをした直後に悪い結果が現れるなら、誰でも反省できます。

しかし現実はそう単純ではありません。

仏教では業の現れ方として、

順現業

行いがすぐ結果になるもの。

順次業

時間がたって結果になるもの。

順後業

原因を忘れた頃に結果になるもの。

があると教えられています。

時間が経つほど、自分の蒔いた種を忘れてしまいます。

そのため、、結果が現れたときに人のせいにしやすいのです。

蒔いた種は必ず生える

仏教には、

業力不滅

という言葉があります。

業とは行いのことです。

業力不滅とは、

「行いの力は決して消えない」

という意味です。

善い行いにも力があり、

悪い行いにも力があります。

因果の道理とは何か

仏教では、

因果の道理

が説かれています。

その内容を一言でいえば、

・善因善果

・悪因悪果

・自因自果

です。

善い行いには善い結果があります。

悪い行いには悪い結果があります。

自分でやった行ないは自分に返ってきます。

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本当に智慧のある人とは

苦しいことが起きたとき、

すでに人を責める人は少なくありません。

しかし智慧のある人は、

「自分に原因はなかっただろうか」

と自らを振り返ります。

もちろん、すべての問題を単純に自己責任と考えるわけではありません。

ですが、人を恨み続けても問題は解決しません。

縄ばかりを責めるのではなく、自分の因に目を向ける。

そこに人生を良くする第一歩があります。

お釈迦様が愚かな人と言われるのは、因果の道理がわからず、人や環境ばかりを責める人です。

反対に智慧のある人とは、結果の背後にある原因を見つめ、自らを省みることのできる人なのです。

感想

仏教では愚かな人とは因果の道理がわからない人のことだと教えられる。自分に悪い結果がきたとき、人のせいにするのではなく自分の行いをみつめる。簡単なようでなかなかできないことだと思いました。

経営の神様と呼ばれた松下幸之助は著書「思うまま」の中で次のように語っています。「お客さまには、あまり文句を言わない人とあれこれ細かい注文をつける2種類がある。あまり文句を言わずいに買ってくれるお客もありたたいが、よく考えてみると、よりありがたいのは苦情をよく言ってくださるお得意様ではなかろうか。その注文や苦情が、自分の商売ぶりや、商品の改善のために非常に役に立つからである」

自分の悪い点を素直に見つめて改善しようとすることの大切さがわかります。その積み重ねの結果、経営の神様と呼ばれるまでになった一因ではないだろうかと思いました。

仏教では因果の道理が教えられています。善因善果、悪因悪果、自因自果。自分に起こった結果には必ず自分に原因がある。どうみてもあいつのせいでこんな悪いことになった、と思うケースはあります。そんなときに因果の道理を知っているだけでずいぶん考え方は変ると思います。自分の行いに何か問題はなかったか。仏教の教えが自分を助けてくれます。

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この記事を書いた人

1983年生まれです。
仏教を学んでよりよい人生をおくりたいです。
みなさん一緒に学びましょう。

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