仏教とは大悲の願船一つ説かれた

要約

無碍の一道 = 無量光明土へ向かう道

      = さわり(邪魔するもの)がなくなった道

      = 往生一定

      = 死んで浄土に往き仏に生れる

→  大悲の願船に乗せていただいてすすむ

大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば  (親鸞聖人)

仏教というのは大悲の願船一つ説かれた教え

→  大悲 = 仏の大慈悲

たのむ一念のとき、往生一定・御たすけ治定  (蓮如上人)

弥陀に救われるのは平生の一念で救われる

感想

仏教とは大悲の願船一つを説かれているという。大悲の願船に乗ることで浄土へ往き仏に生れることができるといわれる。

大悲の願船に乗るとは弥陀の救いにあうということでもある。その弥陀の救われるのは平生の一念で救われる。それを生涯説かれたのが親鸞聖人である。

浄土へ往き仏に生れることは絶対の幸福ともいい、老いや病や死がきても崩れない幸せのこと。浄土へ往き仏に生れることは幸せなことだ。

仏教では死ぬんだあとの世界に六つあると説かれる。地獄界、餓鬼界、修羅界、畜生界、人間界、天上界とある。浄土に往かなければ、この六つの世界を苦しみながらいつまでも経めぐっているといわれる。それは苦しみだから幸せなこととはいえない。浄土に往かなければ苦しみの世界が待っている。

仏教であきらかにされた、浄土へ往き仏に生まれるという幸せ。それは後生の一大事の解決ともいい、死んだあとの幸せをはっきりさせることだ。すべての人は必ず死ぬ。死んだあとの世界をあきらかにすることはすべての人にとって最重要なことだ。

それではどうすれば、大悲の願船に乗ることがでるか?

仏法は聴聞に極まる。

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