要約
■ 仏教では老後の問題は小事であると教えられる
・ 老後の問題よりも大事な事
→ 後生の一大事
→ 後生とは死んだ後の世界
→ 一大事とは最も大きな問題
・ すべての人は死ぬ だから後生の一大事とはすべての人の問題
☆ 後の世と 聞けば遠きに 似たれども 知らずや今日も その日なるらん
→ 死んだ後の世界と聞けばおとぎ話のような遠い話だと思っていたけれど、今日がその日だとは知らなかった
「死んだら死んだとき」なのか? そのとき考えればいいのか?
→ 「老後になったら老後になったときさ」という人はいない。
→ 老後の事を考えずに貯蓄や健康に気を使っていない人を見ると心配になる
・ それでは「死んだら死んだときさ」という考えの人はどうなのか
必ずやってくる将来のことを考えない人はいない
なぜ老後のことは考えるのに死後のことは考えないか?
・ 老後はあるかないかはわからない しかし死後は必ずある しかもそれが今日くるかもしれないし明日くるかもしれない
■ 老後の不安老いの不安の根底には、死んだらどうなるかという不安があるからだと仏教では教えられる
☆ 踏み迷う 知らぬ旅路の 夕暮れに 宿の無き身の 心地こそすれ
旅人が知らない山道で道に迷ってしまった。夕暮れ時になってきてやがて夜になる。そうなるとクマやオオカミなど獣たちも活動し始めて不安な気持になってくる。まだどこで休んだらいいか不安な状態。
→ これがいよいよ死んでいかなければならないときの姿
・ 仏教では生きているときに、後生の一大事の解決ができると教えられている 後生の一大事が解決できれば、この世から未来永遠の幸せになることができる。その身になったことを信楽という
☆ 踏み迷う 知らぬ旅路の 夕暮れに 宿をとりたる 心地こそすれ
道に迷っていたときに宿をみつけて安心して休むことができる
→ 後生の一大事の解決ができたときの気持ち
■ 後生の一大事が解決できると、老いや病気が感謝のタネに変わる
感想
老後のことを心配するのは当たり前だと感じるが、死後のことを考えるのは当たり前だと感じない。必ず死後はやってくるのに死んだら死んだときさと思ってしまう。死後のことは考えてもわからないから考えても無駄のように感じる。
普段生活していて何か困ったとき、誰の意見に従うか。信頼できる人、尊敬する人、同じ悩みを克服した人などではないだろうか。死後のことを教えられている仏教はお釈迦様の教えである。お釈迦様は信頼でき、尊敬し、同じ悩みを克服した人だからその教えには真実性があると思う。死後のことは考えても無駄だと思うとき、お釈迦様の教えを聞いてみることも一つの手段だと思う。そうすることで死後に対する考え方はずいぶん変わってくる。
仏教は聴聞に極まる。
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