今から思えば夢のような出来事だった

要約

胡蝶の夢  夢かうつつかわからない

→  荘子 老荘思想

ある日、蝶々になって楽しかった夢を見た。目が覚めたとき自分は壮士という人間だった。荘子は夢があまりにもリアルだったのでもしかしたら蝶々になったときが現実で、人間であるほうが夢なのではないかと思えた。夢と現実がどちらなのかわからないようになった、というのが胡蝶の夢

現実でものすごく辛いことがあるとこれは夢じゃないかと思うことがある。次の日になっても変らないとき現実かと落胆し、夢だったらよかったのにと思うことがある。

お釈迦さま

→  人生を旅 人間を旅人にたとえられた

→  人生は昨日から今日、今日から明日へすすんでいる 後戻りはできない

→  すべてのものごとは諸行無常

人生には楽しいことも辛いこともある

→  順境 楽しいこと

→  逆境 辛いこと

→  順境も逆境も続かない

ただ、いっさいは過ぎていきます。自分が今まで阿鼻叫喚で生きてきた、いわゆる人間の世界において、たった一つ、真理らしく思われたのはそれだけでした。  (太宰治 人間失格)

露とおち 露と消えにし わが身かな 難波のことも 夢のまた夢  (豊臣秀吉)

火宅無常の世界は 万のこと皆もって そらごと・たわごと 真実あることなし  ただ念仏のみぞ まことにておわします  (親鸞聖人)

感想

死を意識したときから、この世の出来事は夢だったと感じるという。嬉しかったことも辛かったことも夢を見ていたようだったと思うという。

学生時代、楽しかったことも苦しかったこともあったが、卒業してみればあっという間だった。それは夢をみていたようだったといえる。もっと勉強しておけば、もっと部活を頑張れば、もっと恋愛しておけばと後悔することが多かったが、やり直すことはできない。ただ過ぎ去っていくのみだ。

人生が終わるとき夢のようだったといった豊臣秀吉の辞世の句は誰にでも当てはまるだろう。栄耀栄華を極めてもそれは生きている間だけの幸せだった。人生はどれだけ幸せでも戻ることができないし、留まることもできない。だから夢のようだったと感じる。

仏教ではすべてのことは続かないことを諸行無常といわれる。諸行無常を感じることで仏教を聞く気がおきるという。仏教には諸行無常の世の中においても絶対に崩れない幸せがあると説かれている。

仏教を学べば学ぶほど人生を深く見つめることになる。

絶対に崩れない幸せを求めて生きていきたい。

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