「人を助けたいのに助け切れない」
「優しくしたいのに限界を感じる」
そんな苦しみを感じたことはないでしょうか。
親鸞聖人の教えを記した、『歎異抄』第4章には、人間の苦しみと慈悲の限界、そして本当の救いについて深く教えられています。
有名なのが、
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり
という言葉です。
ここでは、
・聖道の慈悲
・浄土の慈悲
という二つの慈悲が説かれています。
この記事では、『歎異抄』第4章をわかりやすく解説しながら、「本当の幸せとは何か」を考えていきます。
歎異抄について詳しくはこちら

仏教でいう慈悲とは「抜苦与楽」
仏教は「慈悲の教え」といわれます。
慈悲とは、
・苦しみを抜いて(抜苦)
・幸せを与える(与楽)
です。
困っている人を助けたい。
悲しんでいる人を支えたい。
これは誰もが持っている温かい心でしょう。
しかし、『歎異抄』では、その慈悲には二つあると教えられています。
聖道の慈悲とは?|人間の優しさには限界がある
まず説かれるのが「聖道の慈悲」です。
聖道の慈悲とは、
・かわいそうだと思う
・助けたいと思う
・愛おしみ育てようとする
人間の持つ優しさや思いやりのことです。
例えば、
・病気の人を看病する
・困っている人にお金を渡す
・悩んでいる人の相談に乗る
こうした行いはすべて尊い慈悲です。
ですが、親鸞聖人は次のように言われています。
しかれども、思うがごとく助け遂ぐること、極めてありがたし。
つまり、
「助けたいと思っても、思うように助け切ることは極めて難しい」
ということです。
なぜ人は助け切れないのか
どれだけ愛情を注いでも、人は必ず、
・老いていく
・病気になる
・別れがくる
・最後には死を迎える
という苦しみから逃れられません。
どれほど支えても、人生の苦しみそのものを完全になくすことはできないのです。
『歎異抄』にはこうあります。
今生に、いかにいとおし不便と思うとも、存知のごとく助け難ければこの慈悲始終なし
どれだけ「かわいそうだ」「助けたい」と思っても、根本からの苦しみを取り除くことは難しい。
だから、人間の慈悲には助け切ったというゴールはない。
「頑張っても救えない苦しみ」に悩む人は多い
現代でも、
・家族を支えているのに報われない
・子どもの悩みを解決できない
・大切な人を助けたいのに助けられない
・自分自身も苦しみから抜け出せない
そんな無力感に苦しむ人は少なくありません。
優しい人ほど、
「もっと何かできたのではないか」
と自分を責めてしまいます。
しかし、『歎異抄』は、人間の慈悲には限界があることをまず教えられているのです。
浄土の慈悲とは?|阿弥陀仏の大悲
そこで説かれるのが『浄土の慈悲』です。
浄土の慈悲とは、阿弥陀仏の慈悲のことです。
『歎異抄』には、
大悲の願船に乗じて、光明の広海に浮かびぬれば
とあります。
これは、
阿弥陀仏の大きな慈悲の船に乗せていただくことで、苦しみの人生が明るく照らされる
という意味です。
阿弥陀仏の本願に救われる|後生の一大事の解決すること

「大悲の願船」とは何か
人生は苦しみの海に例えられます。
その苦しみの海を自分の力だけで渡ろうとして苦しんでいます。
しかし、阿弥陀仏は、
「必ず救う」
という本願を立て、すべての人を救う「大きな船」を用意されたと説かれます。
これを「大悲の願船」といいます。
信心決定とは「人生が光り輝く転換点」
大悲の願船に乗せていただいたとき、
苦しみしか見えなかった人生が大きく変わると教えられます。
これを「信心決定」といいます。
浄土の慈悲とは「仏になって人を救う道」
『歎異抄』にはさらにこうあります。
浄土の慈悲というは、念仏して急ぎ仏になりて大慈大悲心をもって思うがごとく衆生を利益するをいうべきなり。
つまり、
浄土の慈悲というのは急いで信心決定して念仏する身となり、早く仏になる身になりなさい。大悲の願船に乗せていただいた人は死ぬと浄土に往って仏になれる。そうなったら仏の大慈大悲心を持って今度は苦しみ悩んでいる人たちに、この大悲の願船のあることを伝えずにおれなくなる幸せな身になれますよ
ということです。
浄土の慈悲に救われると、人の優しさにも感謝できる
不思議なことに、浄土の慈悲に救われた人は人間の優しさにも深く感謝できるようになります。
・支えてくれた人
・声をかけてくれた人
・心配してくれた人
その温かさがどれほど尊いものだったか気づかされるからです。
限界がある中でも,誰かを思いやる心は尊い。
その上で、人間の力を超えた大慈悲があることを『歎異抄』は教えているのです。
阿弥陀仏に救われるのは生きているただ今

まとめ|『歎異抄』第4章が教える本当の慈悲
『歎異抄』第4章では、
・人間の慈悲(聖道の慈悲)
・阿弥陀仏の慈悲(浄土の慈悲)
の違いが教えられています。
人間の力には限界があります。
しかし、阿弥陀仏の大悲の願船によって救われる道がる。
それが浄土の慈悲です。
感想
慈悲には聖道の慈悲と浄土の慈悲があるという。聖道の慈悲は人間の慈悲で、浄土の慈悲は阿弥陀仏の慈悲。慈悲とは2つあることを知っている人はあまりいないと思いました。世間一般に知られている慈悲とは聖道の慈悲のことだと思います。浄土の慈悲を知っている人は少ないはずです。
人間の慈悲には限界があり、どれだけ苦しみを救っても最後は死んでいかなけれならない。それだけでも人間の慈悲は素晴らしいと思うが、阿弥陀仏の慈悲は死ぬと浄土へ往って仏に生まれることができることだという。確かに浄土へ往って仏に生まれれば素晴らしいと思うが、あまり実感がわかない。死後のことは想像するだけで、現実離れしていてなかなか理解するのが難しいと思いました。
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